、一足でも間違えて御覧なさいまし、何千|丈《じょう》とも知れぬ谷で、行留《ゆきどま》りになりますやら、断崖《きりぎし》に突当《つきあた》りますやら、流《ながれ》に岩が飛びましたり、大木の倒れたので行《ゆ》く前《さき》が塞《ふさが》ったり、その間には草樹《くさき》の多いほど、毒虫もむらむらして、どんなに難儀でございましょう。
旧《もと》へ帰るか、倶利伽羅峠《くりからとうげ》へ出抜《でぬ》けますれば、無事に何方《どちら》か国へ帰られます。それでなくって、無理に先へ参りますと、終局《しまい》には草一条《くさひとすじ》も生えません焼山《やけやま》になって、餓死《うえじに》をするそうでございます。
本当に貴方《あなた》がおっしゃいます通り、樵夫《きこり》がお教え申しました石は、飛騨《ひだ》までも末広《すえひろ》がりの、医王の要石《かなめいし》と申しまして、一度|踏外《ふみはず》しますと、それこそ路がばらばらになってしまいますよ。」
名だたる北国《ほくこく》秘密の山、さもこそと思ったけれども、
「しかし一体、医王というほど、此処《ここ》で薬草が採れるのに、何故《なぜ》世間とは隔《へだた》って、行通《ゆきかよい》がないのだろう。」
「それは、あの承《うけたまわ》りますと、昔から御領主の御禁山《おとめやま》で、滅多《めった》に人をお入れなさらなかった所為《せい》なんでございますって。御領主ばかりでもござんせん。結構な御薬《おくすり》の採れます場所は、また御守護の神々《かみがみ》仏様《ほとけさま》も、出入《ではいり》をお止《と》め遊ばすのでございましょうと存じます。」
譬《たと》えば仙境《せんきょう》に異霊《いれい》あって、恣《ほしいまま》に人の薬草を採る事を許さずというが如く聞えたので、これが少《すくな》からず心に懸《かか》った。
「それでは何か、私《わたし》なんぞが入って行って、欲《ほし》い草を取って帰っては悪いのか。」
と高坂はやや気色《けしき》ばんだが、悚然《ぞっ》と肌寒《はださむ》くなって、思わず口の裡《うち》で、
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慧雲含潤《えうんがんじゅん》 電光晃耀《でんこうこうよう》 雷声遠震《らいじょうおんしん》 令衆悦予《れいじゅえつよ》
日光掩蔽《にっこうおんぺい》 地上清涼《ちじょうしょうりょう》 靉靆垂布《あいたいすいぶ》 如可
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