っちゃ》ったりする処《ところ》ではないのでございます。まあ、難有《ありがた》いお寺の庭、お宮の境内《けいだい》、上《うえ》つ方《がた》の御門《ごもん》の内のような、歩けば石一つありませんでも、何となく謹《つつし》みませんとなりませんばかりなのでございます。そして貴方《あなた》は、美女ヶ原にお心覚えの草があって、其処《そこ》までお越し遊ばすに、二日も三日もお懸《かか》りなさらねばなりませんような気がすると仰有《おっしゃ》いますが、何時《いつ》か一度お上《のぼ》り遊ばした事がございますか。」
「一度あるです。」
「まあ。」
「確《たしか》に美女ヶ原というそれでしょうな、何でも躑躅《つつじ》や椿《つばき》、菊も藤も、原《はら》一面に咲いていたと覚えています。けれども土地の名どころじゃない、方角さえ、何処《どこ》が何だか全然《まるで》夢中。
今だってやっぱり、私は同一《おなじ》この国の者なんですが、その時は何為《なぜ》か家を出て一月|余《あまり》、山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]《さまよ》って、漸々《ようよう》其処《そこ》を見たように思うですが。」
高坂は語りつつも、長途《ちょうと》に苦《くるし》み、雨露《あめつゆ》に曝《さら》された当時を思い起すに付け、今も、気弱り、神《しん》疲れて、ここに深山《みやま》に塵《ちり》一つ、心に懸《かか》らぬ折ながら、なおかつ垂々《たらたら》と背《そびら》に汗。
糸のような一条路《ひとすじみち》、背後《うしろ》へ声を運ぶのに、力を要した所為《せい》もあり、薬王品《やくおうほん》を胸に抱《いだ》き、杖を持った手に帽《ぼう》を脱ぐと、清き額《ひたい》を拭《ぬぐ》うのであった。
それと見る目も敏《さと》く、
「もし、御案内がてら、あの、私がお前《さき》へ参りましょう。どうぞ、その方がお話も承《うけたまわ》りようございますから。」
一議《いちぎ》に及ばず、草鞋《わらじ》を上げて、道を左へ片避《かたよ》けた、足の底へ、草の根が柔《やわらか》に、葉末《はずえ》は脛《はぎ》を隠したが、裾《すそ》を引く荊《いばら》もなく、天地《てんち》閑《かん》に、虫の羽音《はおと》も聞えぬ。
三
「御免なさいまし。」
と花売《は
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