は、明六つと、暮六つと、夜中|丑満《うしみつ》に一度、――三度のほかは鳴らさない事になっておりますから、失礼とは存じましたが、ちょっと申上げたのでございます。さあ、どうぞ御遠慮なく、上って御覧なさいまし。(夕顔の垣根について入《いら》んとす。)
学円 ああ、ちょっと……お待ち下さい。鐘を見ようと思いますが、ふと言《ことば》を交わしたを御縁に、余り不躾《ぶしつけ》がましい事じゃが、茶なりと湯なりと、一杯お振舞い下さらんか。
百合 お易い事でございます。さあ、貴客《あなた》、これへお掛けなさいまし。
学円 御免下さいよ。
百合 真《まこと》に見苦しゅうございます。
学円 これは――お寺の庫裡《くり》とも見受ません。御本堂は離れていますか。
百合 いいえ、もう昔、焼けたと申しまして、以前から、寺はないのでございます。
学円 鐘ばかり……
百合 はい。
学円 鐘ばかり……成程、ところで西瓜の一件じゃ。(帽子を脱ぐ、ほとんど剃髪《ていはつ》したるごとき一分刈《いちぶがり》の額を撫《な》でて)や、西瓜と云えば、内に甜瓜《まくわうり》でもありますまいか。――茶店でもない様子――(見廻す。)
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片山家《かたやまが》の暮れ行《ゆ》く風情、茅屋《かやや》の低き納戸の障子に灯影《ほかげ》映る。
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学円 この上、晩飯の御難題は言出しませんが、いかんとも腹が空いた。
百合 ほほ。(と打笑《うちえ》み)筧《かけひ》の下に、梨《ありのみ》が冷《ひや》してござんす、上げましょう。(と夕顔の蔭に立廻る。)
学円 (がぶがぶと茶を呑《の》み、衣兜《ポケット》から扇子を取って、煽《あお》いだのを、と翳《かざ》して見つつ)おお、咲きました。貴女《あなた》の顔を見るように。
百合 ええ?(聞返す。)
学円 いや、髪の色を見るように。
百合 もう、年をとりますと、花どころではございません。早く干瓢《かんぴょう》にでもなりますれば、……とそればかりを待っております。
学円 小刀《ナイフ》をこれへお遣わし……私《わし》が剥《む》きます。――お世話を掛けてはかえって気遣いな。どれどれ……旅の事欠け、不器用ながら、梨《なし》の皮ぐらいは、うまく剥きます。おおおお氷よりよく冷えた。玉を削るとはこの事じゃろう。
百合 旅を遊ばす御
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