椿の花を挿す。両方に手を支《つ》いて附添う。
十五夜の月出づ。
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白雪 ふみを読むのに、月の明《あかり》は、もどかしいな。
姥 御前様《おんまえさま》、お身体《からだ》の光りで御覧ずるが可《よ》うござります。
白雪 (下襲《したがさね》を引いて、袖口の炎を翳《かざ》し、やがて読果てて恍惚《うっとり》となる。)
椿 姫様《ひいさま》。
姥 もし、御前様《おんまえさま》。
白雪 可懐《なつか》しい、優しい、嬉しい、お床しい音信《たより》を聞いた。……姥《うば》、私は参るよ。
姥 たまたま麓《ふもと》へお歩行《ひろい》が。
椿 もうお帰り遊ばしますか。
白雪 どこへ?……(と聞返す。)
姥 お住居《すまい》へ。
白雪 何?
姥 夜叉ヶ池へでござりましょう。
白雪 あれ、お前は何を言う……私の行くのは剣ヶ峰だよ。
一同 剣ヶ峰へ、とおっしゃりますると?
白雪 聞かずと大事ないものを――千蛇ヶ池とは知れた事――このおふみの許《とこ》へさ。(と巻戻し懐中《ふところ》に納めて抱《いだ》く。)
姥 (居直り)また……我儘《わがまま》を仰せられます。お前様、ここに鐘《つりがね》がござります。
白雪 む、(と眦《まなじり》をあげて、鐘楼を屹《きっ》と見る。)
姥 お忘れはなさりますまい。山ながら、川ながら、御前様《おんまえさま》が、お座をお移しなさりますれば、幾万、何千の生類の生命《いのち》を絶たねばなりませぬ。剣ヶ峰千蛇ヶ池の、あの御方様とても同じ事、ここへお運びとなりますと、白山谷は湖になりますゆえ、そのために彼方《かなた》からも御越の儀は叶《かな》いませぬ。――姥《うば》はじめ胸を痛めます。……おいとしい事なれども、是非ない事にござります。
白雪 そんな、理窟を云って……姥、お前は人間の味方かい。
姥 へへ、(嘲笑《あざわら》い)尾のない猿ども、誰がかばいだていたしましょう。……憎ければとて、浅ましければとて、気障《きざ》なればとて、たとい仇敵《かたき》なればと申して、約束はかえられませぬ、誓を破っては相成りませぬ。
白雪 誓盟《ちかい》は、誰がしたえ。
姥 御先祖代々、近くは、両、親御様まで、第一お前様に御遺言ではございませぬか。
白雪 知っています。(とつんとひぞる。)
姥 もし、お前様、その浅ましい人間で
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