くだろう、こんな実のある、気前の可《い》い……」
「値切らない、」
「ほんによ、所帯持の可い姉さんを。分らない旦《だん》じゃねえか。」
「可いよ。私が承知しているんだから、」
 と眦《まなじり》の切れたのを伏目になって、お蔦は襟に頤《おとがい》をつけたが、慎ましく、しおらしく、且つ湿《しめ》やかに見えたので、め[#「め」に傍点]組もおとなしく頷《うなず》いた。
 お源が横向きに口を出して、
「何があるの。」
「へ、野暮な事を聞くもんだ。相変らず旨《うめ》えものを食《くわ》してやるのよ。黙って入物を出しねえな。」
「はい、はい、どうせ無代価《ただ》で頂戴いたしますものでございます。め[#「め」に傍点]のさんのお魚は、現金にも月末《つきずえ》にも、ついぞ、お代をお取り遊ばしたことはございません。」
「皮肉を言うぜ。何てったって、お前はどうせ無代価で頂くもんじゃねえか。」
「大きに、お世話、御主人様から頂きます。」
「あれ、見や、島田を揺《ゆすぶ》ってら。」
「ちょいと、番ごといがみあっていないでさ。お源や、お客様に御飯が出そうかい。」
「いかがでございますか、婦人《おんな》の方ですから、そんなに、お手間は取れますまい。」

       三

「だってお前、急に帰りそうもないじゃないか。」
 と云って、め[#「め」に傍点]組の蓋を払った盤台を差覗《さしのぞ》くと、鯛《たい》の濡色輝いて、広重の絵を見る風情、柳の影は映らぬが、河岸の朝の月影は、まだその鱗《うろこ》に消えないのである。
 俎板をポンと渡すと、目の下一尺の鮮紅《からくれない》、反《そり》を打って飜然《ひらり》と乗る。
 とろんこの目には似ず、キラリと出刃を真名箸《まなばし》の構《かまえ》に取って、
「刺身かい。」
「そうね、」
 とお蔦は、半纏の袖を合わせて、ちょっと傾く。
「焼きねえ、昨日も刺身だったから……」
 と腰を入れると腕の冴《さえ》、颯《さっ》と吹いて、鱗がぱらぱら。
「ついでに少々お焼きなさいますなぞもまた、へへへへへ、お宜《よろ》しゅうございましょう。御婦人のお客で、お二階じゃ大層お話が持てますそうでございますから。」
「憚様《はばかりさま》。お客は旦那様のお友達の母様《おっかさん》でございます。」
 め[#「め」に傍点]の字が鯛をおろす形は、いつ見てもしみじみ可い、と評判の手つきに見惚《みと
前へ 次へ
全214ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング