》ばかりの一群《ひとむれ》には花籠に熊蜂めくが、此奴《こいつ》大切なお嬢の傍《かたえ》を、決して離れる事ではない。
これは蓋《けだ》し一門の大統領、従五位勲三等河野英臣の発議に因て、景色の見物をかねて、久能山の頂で日蝕の観測をしようとする催《もよおし》で。この人達には花見にも月見にも変りはないが、驚いて差覗いた百姓だちの目には、天宮に蝕の変あって、天人たちが遁《に》げるのだと思ったろう。
共に清水港の別荘に居る、各々《めいめい》の夫は、別に船をしつらえて、三保まわりに久能の浜へ漕《こ》ぎ寄せて、いずれもその愛人の帰途《かえり》を迎えて、夜釣をしながら海上を戻る計画。
小児《こども》たち、幼稚《おさな》いのは、傅《もり》、乳母など、一群《ひとむれ》に、今日は別荘に残った次第。すでに前にも言ったように、この発議は英臣で、真前《まっさき》に手を拍《う》って賛成したのは菅子で、余は異論なく喜んで同意したが、島山夫人は就中《なかんずく》得意であった。
と云うのは、去年汽車の中で、主税が伊太利人に聞いたと云うのを、夫人から話し伝えて、まだ何等の風説の無い時、東京の新聞へ、この日の現象を細かに論じて載せたのは理学士であったから。その名たちまち天下に伝えて、静岡では今度の日蝕を、(島山蝕)――とさえ称《とな》えたのである。
五十二
田を行《ゆ》く時、白鷺が驚いて立った。村を出る時、小店の庭の松葉牡丹《まつばぼたん》に、ちらちら一行の影がさした。聯《つらな》る車は、薄日なれば母衣《ほろ》を払って、手に手にさしかざしたいろいろの日傘に、あたかも五彩の絹を中空に吹き靡《なび》かしたごとく、死したる風も颯《さっ》と涼しく、美女《たおやめ》たちの面《おもて》を払って、久能の麓《ふもと》へ乗附けたが、途中では人一人、行脚の僧にも逢わなかったのである。
蝕あり、変あり、兵あり、乱《みだれ》ある、魔に囲まれた今日の、日の城の黒雲を穿《うが》った抜穴の岩に、足がかりを刻んだ様な、久能の石段の下へ着くと、茶店は皆ひしひしと真夜中のごとく戸を鎖《とざ》して、蜻蛉《とんぼう》も飛ばず。白茶けた路ばかり、あかあかと月影を見るように、寂然《ひっそり》としているのを見て、大夫人が、
「野蛮だね。」
と嘲笑《あざわら》って、車夫に指揮《さしず》して、一軒店を開けさして、少時《しばら
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