った髪を、お妙が、はらりと掉《ふ》ったので、颯《さっ》と流れた薄雲の乱るる中から、ふっと落ちた一握《ひとにぎり》の黒髪があって、主税の膝に掛ったのである。
 早瀬は氷を浴びたように悚然《ぞっ》とした。
「お蔦さんに託《ことづか》ったの。あの、記念《かたみ》にね、貴下に上げて下さいッて、主税さん、」
 と向う状《ざま》に、椅子の凭《かかり》に俯伏《うつぶ》せになると、抜いて持った簪《かんざし》の、花片が、リボンを打って激しく揺れて、
「もうその他《ほか》には逢えないのよ。」
 お蔦の記念の玉の緒は、右の手に燃ゆるがごとく、ひやひやと練衣《ねりぎぬ》の氷れるごとき、筒井筒振分けて、丈にも余るお妙の髪に、左手《ゆんで》を密《そっ》と掛けながら、今はなかなかに胴据《どうすわ》って、主税は、もの言う声も確《たしか》に、
「亡くなったものの髪毛《かみのけ》なんぞ。……
 飛んでも無い。先生が可《い》い、とおっしゃいましたか、奥様が可い、とおっしゃったんですかい。こんなものをお頭《つむり》へ入れて。御出世前の大事なお身体《からだ》じゃありませんか。ああ、鶴亀々々、」
 と貴いものに触るように、静《しずか》にその緑の艶《つや》を撫でた。
「私、出世なんかしたかないわ。髪結さんにでも何にでもなってよ。」
 と勇ましく起直って、
「父さんがね、主税さん、病気が治ったら東京へお帰んなさいッて、そうして、あの、……お墓参をしましょうね。」


     日蝕

       五十一

 日盛りの田畝道《たんぼみち》には、草の影も無く、人も見えぬ。村々では、朝から蔀《しとみ》を下ろして、羽目を塞いだのさえ少くない。田舎は律義で、日蝕は日の煩いとて、その影には毒あり、光には魔あり、熱には病《やまい》ありと言伝える。さらぬだにその年は九分九厘、ほとんど皆既蝕と云うのであった。
 早朝《あさまだき》日の出の色の、どんよりとしていたのが、そのまま冴えもせず、曇りもせず。鶏卵《たまご》色に濁りを帯びて、果し無き蒼空《あおぞら》にただ一つ。別に他に輝ける日輪があって、あたかもその雛形《ひながた》のごとく、灰色の野山の天に、寂寞として見えた――
 風は終日《ひねもす》無かった。蒸々《むしむし》と悪気の籠った暑さは、そこらの田舎屋を圧するようで、空気は大磐石に化したるごとく、嬰児《みどりご》の泣音《なくね》
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