いけ》ませんよ。」
「ほんとうに貴郎《あなた》の半分でも、父様が母様の言うことを肯《き》くと可いんだけれど、学校でも皆《みんな》が評判をするんですもの、人が悪いのはね、私の事を(お酌さん。)なんて冷評《ひやか》すわ。」
「結構じゃありませんか。」
「厭だわ、私は。」
「だって、貴女、先生がお嬢さんのお酌で快く御酒を召食《めしあが》れば、それに越した事はありません。後《いま》にその筋から御褒美《ごほうび》が出ます。養老の滝でも何でも、昔から孝行な人物の親は、大概酒を飲みますものです。貴女を(お酌さん。)なぞと云う奴は、親のために焼芋を調え、牡丹餅《おはぎ》を買い……お茶番の孝女だ。」
と大《おおい》に擽《くすぐ》って笑うと、妙子は怨めしそうな目で、可愛らしく見たばかり。
「私は、もう帰ります。」
「御串戯《ごじょうだん》をおっしゃっては不可ません。これからその焼芋だの、牡丹餅《おはぎ》だの。」
「ええ、私はお茶番の孝女ですから。」
「まあ、御褒美を差上げましょう。」
と主税が引寄せる茶道具の、そこらを視《なが》めて、
「お客様があったのね。お邪魔をしたのじゃありませんか。」
「いいえ、もう帰った後です。」
「厭な人ね?」
と唐突《だしぬけ》に澄まして云う。
「見たんですか。」
「見やしませんけれど、御覧なさいな。お茶台に茶碗が伏《ふさ》っているじゃありませんか、お茶台に茶碗を伏せる人は、貴下|嫌《きらい》だもの、父様も。」
「天晴《あっぱ》れ御鑑定、本阿弥《ほんあみ》でいらっしゃる。」と急須子《きびしょ》をあける。
「誰方《どなた》なの?」
「御存じのない者です。河野と云う私の友達……来ていたのはその母親ですよ。」
「河野ね? 主税さん。」と妙子はふっくりした前髪で打傾き、
「学士の方じゃなくって、」
「知っていらっしゃるか。」と茶筒にかけた手を留めた。
「その母様《おっかさん》と云うのは、四十余りの、あの、若造りで、ちょいとお化粧なんぞして、細面《ほそおもて》の、鼻筋の通った、何だか権式の高い、違って?」
「まったく。どうして貴女、」
「私の学校へ、参観に。」
新学士
十三
「昨日《きのう》は母様《かあさん》が来て御厄介でした。」
と、今夜主税の机の際《わき》に、河野|英吉《えいきち》が、まだ洋服の膝も崩さぬ前《さき》から、
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