ヒイインと嘶《いなな》く声。戸外《おもて》で、犬の吠ゆる声。
「可恐《おッそろし》い真暗ですね。」
品々を整えて、道の暗さに、提灯《ちょうちん》を借りて帰って来た、小使が、のそりと入ると、薄色の紋着を、水のように畳に流して、夫人はそこに伏沈んで、早瀬は窓をあけて、※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子に腰をかけて、吻《ほっ》として腕をさすっていた。――猛虎肉酔初醒時《もうこにくにようてはじめてさむるとき》。揩磨苛痒風助威《かようをかいましてかぜいをたすく》。
廊下づたい
四十三
家の業でも、気の弱い婦《おんな》であるから、外科室の方は身震いがすると云うので、是非なく行《ゆ》かぬ事になっているが、道子は、両親の注意――むしろ命令で、午後十時前後、寝際には必ず一度ずつ、入院患者の病室を、遍《あまね》く見舞うのが勤めであった。
その時は当番の看護婦が、交代に二人ずつ附添うので、ただ(御気分はいかがですか、お大事になさいまし、)と、だけだけれども、心優しき生来《うまれつき》の、自《おのず》から言外の情が籠るため、病者は少なからぬ慰安を感じて、結句院長の廻診より、道子の端麗な、この姿を、待ち兼ねる者が多い。怪しからぬのは、鼻風邪ごときで入院して、貴女のお手ずからお薬を、と唸《うな》ると云うが、まさかであろう。
で――この事たるや、夫の医学士、名は理順《りじゅん》と云う――院長は余り賛成はしないのだけれども、病人を慰めるという仕事は、いかなる貴婦人がなすっても仔細《しさい》ない美徳であるし、両親もたって希望なり、不問に附して黙諾の体でいる。
ト今夜もばたばたと、上草履の音に連れて、下階《した》の病室を済ました後、横田の田畝《たんぼ》を左に見て、右に停車場《ステイション》を望んで、この向は天気が好いと、雲に連なって海が見える、その二階へ、雪洞《ぼんぼり》を手にした、白衣《びゃくえ》の看護婦を従えて、真中《まんなか》に院長夫人。雲を開いたように階子段《はしごだん》を上へ、髪が見えて、肩、帯が露《あらわ》れる。
質素《じみ》な浴衣に昼夜帯を……もっともお太鼓に結んで、紅鼻緒に白足袋であったが、冬の夜《よ》なぞは寝衣《ねまき》に着換えて、浅黄の扱帯《しごき》という事がある。そんな時は、寝白粉《ねおしろい》の香も薫る、それはた異香|薫《く
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