ろし》ばかり。道具屋は、稚《おさな》いのを憐《あわ》れがって、嘘で庇《かば》ってくれたのであろうも知れない。――思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。
 ――おなじ思《おもい》が胸を打った。同時であった、――人気勢《ひとけはい》がした。――
 御廟子《みずし》の裏へ通う板廊下の正面の、簾《すだれ》すかしの観音びらきの扉《と》が半ば開きつつ薄明《うすあかる》い。……それを斜《ななめ》にさし覗《のぞ》いた、半身の気高い婦人がある。白衣に緋を重ねた姿だと思えば、通夜の籠堂《こもりどう》に居合せた女性《にょしょう》であろう。小紋の小袖に丸帯と思えば、寺には、よき人の嫁ぐならいがある。――あとで思うとそれも朧《おぼろ》である。あの、幻の道具屋の、綺麗な婦《ひと》のようでもあったし、裲襠姿振袖《うちかけすがたふりそで》の額の押絵の一体のようにも思う。……
 瞬間には、ただ見られたと思う心を、棒にして、前後も左右も顧みず、衝々《つつ》と出、その裳《もすそ》に両手をついて跪《ひざまず》いた。
「小児は影法師も授《さずか》りません。……ただあやかりとう存じます。――写真は……拝借出来るのでございましょうか。」
 舌はここで爛《ただ》れても、よその女を恋うるとは言えなかったのである。
「どの、お写真。」
 と朗《ほがらか》に、しっとり聞えた。およそ、妙《たえ》なるものごしとは、この時言うべき詞《ことば》であった。
「は、」
 と載せたまま白紙《しらかみ》を。
「お持ちなさいまし。」
 あなたの手で、スッと微《かす》かな、……二つに折れた半紙の音。
「は、は。」
 と額に押頂くと、得ならず艶《えん》なるものの薫《かおり》に、魂は空《くう》になりながら、恐怖《おそれ》と恥《はじ》とに、渠《かれ》は、ずるずると膝で退《さが》った。
 よろりと立つ時、うしろ姿がすっと隠れた。
 外套も帽も引掴《ひッつか》んで、階《きざはし》を下りる、足が辷《すべ》る。そこへ身体《からだ》ごと包むような、金剛神の草鞋《わらじ》の影が、髣髴《ほうふつ》として顕《あらわ》れなかったら、渠は、この山寺の石の壇を、径《こみち》へ転落《ころげお》ちたに相違ない。
 雛の微笑《ほほえみ》さえ、蒼穹《あおぞら》に、目に浮《うか》んだ。金剛神の大草鞋は、宙を踏んで、渠を坂道へ橇《そ》り落した。
 清水の向畠《むこうはた》のくず
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