》は母の実家《さと》の檀那寺《だんなでら》なる、この辺《あたり》の寺に墓詣《はかまいり》した。
 俗に赤門寺と云う。……門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像が丹《に》であるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えがあって、寺は名高い。
 仁王門の柱に、大草鞋《おおわらじ》が――中には立った大人の胸ぐらいなのがある――重《かさな》って、稲束の木乃伊《みいら》のように掛《かか》っている事は、渠《かれ》が小児《こども》の時に見知ったのも、今もかわりはない。緒に結んだ状《さま》に、小菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが――あやめ草あしに結ばむ――「奥の細道」の趣があって、健《すこやか》なる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも、何となく旅情を催させて、故郷《ふるさと》なれば可懐《なつか》しさも身に沁《し》みる。
 峰の松風が遠く静《しずか》に聞えた。
 庫裡《くり》に音信《おとず》れて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所《なっしょ》とも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。
 かあかあと、鴉《からす》が鳴く。……墓所《はかしょ》は日陰である。苔《こけ》に惑い、露に辷《すべ》って、樹島がやや慌《あわただ》しかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年|不沙汰《ぶさた》した、塔婆の中の草径《くさみち》を、志す石碑に迷ったからであった。
 紫|袱紗《ふくさ》の輪鉦《りん》を片手に、
「誰方《どなた》の墓であらっしゃるかの。」
 少々|極《きまり》が悪く、……姓を言うと、
「おお、いま立っていさっしゃるのが、それじゃがの。」
「御不沙汰をいたして済みません。」
 黙って俯向《うつむ》いて線香を供えた。細い煙が、裏すいて乱るるばかり、墓の落葉は堆《うずたか》い。湿った青苔に蝋燭《ろうそく》が刺《ささ》って、揺れもせず、燐寸《マッチ》でうつした灯がまっ直《すぐ》に白く昇《た》った。
 チーン、チーン。――かあかあ――と鴉が鳴く。
 やがて、読誦《どくじゅ》の声を留《とど》めて、
「お志の御|回向《えこう》はの。」
「一同にどうぞ。」
「先祖代々の諸精霊……願以此功徳無量壇波羅蜜《がんいしくどくむりょうだんはらみつ》。具足円満《ぐそくえんまん》、平等利益《びようどうりやく》――南無妙《なむみょ
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