なび》いて、欄間の雲に浮出づる。影はささぬが、香にこぼれて、後にひかえつつも、畳の足はおのずから爪立《つまだ》たれた。
 畳廊下を引返しざまに、敷居を出る。……夫人廟《ぶにんびょう》の壇の端に、その写真の数々が重ねてあった。
 押絵のあとに、時代を違えた、写真を覘《のぞ》くのも学問である。
 清水に洗濯した美女の写真は、ただその四五枚めに早く目に着いた。円髷《まるまげ》にこそ結ったが、羽織も着ないで、女の児《こ》らしい嬰児《みどりご》を抱《いだ》いて、写真屋の椅子にかけた像《かたち》は、寸分の違いもない。
 こうした写真は、公開したもおなじである。産の安らかさに、児のすこやかさに、いずれ願ほどにあやかるため、その一枚を選んで借りて、ひそかに持帰る事を許されている。ただし遅速はおいて、複写して、夫人の御《おん》人々御中に返したてまつるべき事は言うまでもなかろう。
 今日は方々にお賽銭《さいせん》が多い。道中の心得に、新しく調えた懐中に半紙があった。
 目の露したたり、口許《くちもと》も綻《ほころ》びそうな、写真を取って、思わず、四辺《あたり》を見て半紙に包もうとした。
 トタンに人気勢《ひとけはい》がした。
 樹島はバッとあかくなった。
 猛然として憶起《おもいおこ》した事がある。八歳《やッつ》か、九歳《ここのつ》の頃であろう。雛人形《ひなにんぎょう》は活《い》きている。雛市は弥生《やよい》ばかり、たとえば古道具屋の店に、その姿があるとする。……心を籠《こ》めて、じっと凝視《みつめ》るのを、毎日のように、およそ七日十日に及ぶと、思入ったその雛、その人形は、莞爾《にっこり》と笑うというのを聞いた。――時候は覚えていない。小学校へ通う大川の橋一つ越えた町の中に、古道具屋が一軒、店に大形の女雛《めびな》ばかりが一体あった。※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]長《ろうた》けた美しさは註するに及ぶまい。――樹島は学校のかえりに極《きま》って、半時ばかりずつ熟《じっ》と凝視した。
 目は、三日四日めから、もう動くようであった。最後に、その唇の、幽冥《ゆうめい》の境より霞一重に暖かいように莞爾《にっこり》した時、小児《こども》はわなわなと手足が震えた。同時である。中仕切の暖簾《のれん》を上げて、姉さんだか、小母さんだか、綺麗《きれい》な、容子《ようす》のいい
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