好きで……もちろん、お嫌《いや》な方もたんとございますまいが、あの湯へ二度、お着きになって、すぐと、それに夜分に一度、お入りなすったのでございます――都合で、新館の建出しは見合わせておりますが、温泉ごのみに石で畳《たた》みました風呂は、自慢でございまして、旧の二階三階のお客様にも、ちと遠うございますけれども、お入りを願っておりましたところが――実はその、時々、不思議なことがありますので、このお座敷も同様にしばらく使わずにおきましたのを、旦那のような方に試みていただけば、おのずと変なこともなくなりましょうと、相談をいたしまして、申すもいかがでございますが、今日《こんにち》久しぶりで、湧《わ》かしも使いもいたしましたような次第《わけ》なのでございます。
ところで、お艶様、その御婦人でございますが、日のうち一風呂お浴びになりますと、(鎮守様のお宮は、)と聞いて、お参詣《まいり》なさいました。贄川街道《にえがわかいどう》よりの丘の上にございます。――山王様のお社《やしろ》で、むかし人身|御供《ごくう》があがったなどと申し伝えてございます。森々《しんしん》と、もの寂しいお社で。……村社はほかにもございますが、鎮守と言う、お尋ねにつけて、その儀を帳場で申しますと……道を尋ねて、そこでお一人でおのぼりなさいました。目を少々お煩いのようで、雪がきらきらして疼《いた》むからと言って、こんな土地でございます、ほんの出来あいの黒い目金を買わせて、掛けて、洋傘《こうもり》を杖《つえ》のようにしてお出掛けで。――これは鎮守様へ参詣《さんけい》は、奈良井宿一統への礼儀|挨拶《あいさつ》というお心だったようでございます。
無事に、まずお帰りなすって、夕飯の時、お膳《ぜん》で一口あがりました。――旦那の前でございますが、板前へと、御丁寧にお心づけを下すったものでございますから私《てまい》……ちょいと御挨拶に出ました時、こういうおたずねでございます――お社へお供物《くもつ》にきざ柿《がき》と楊枝《ようじ》とを買いました、……石段下のそこの小店のお媼《ばあ》さんの話ですが、山王様の奥が深い森で、その奥に桔梗ヶ原《ききょうがはら》という、原の中に、桔梗の池というのがあって、その池に、お一方《ひとり》、お美しい奥様がいらっしゃると言うことですが、ほんとうですか。――
――まったくでございます、と皆ま
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