あり、足場を組んだ処《ところ》があり、材木を積んだ納屋《なや》もある。が、荒れた厩《うまや》のようになって、落葉に埋《う》もれた、一帯、脇本陣《わきほんじん》とでも言いそうな旧家が、いつか世が成金とか言った時代の景気につれて、桑《くわ》も蚕《かいこ》も当たったであろう、このあたりも火の燃えるような勢いに乗じて、贄川《にえがわ》はその昔は、煮え川にして、温泉《いでゆ》の湧いた処だなぞと、ここが温泉にでもなりそうな意気込みで、新館建増しにかかったのを、この一座敷と、湯殿ばかりで、そのまま沙汰《さた》やみになったことなど、あとで分《わ》かった。「女中《ねえ》さんかい、その水を流すのは。」閉めたばかりの水道の栓《せん》を、女中が立ちながら一つずつ開けるのを視《み》て、たまらず詰《なじ》るように言ったが、ついでにこの仔細《しさい》も分かった。……池は、樹《き》の根に樋《とい》を伏せて裏の川から引くのだが、一年に一二度ずつ水涸《みずが》れがあって、池の水が干《ひ》ようとする。鯉《こい》も鮒《ふな》も、一処《ひとところ》へ固まって、泡《あわ》を立てて弱るので、台所の大桶《おおおけ》へ汲《く》み込んだ井戸の水を、はるばるとこの洗面所へ送って、橋がかりの下を潜《くぐ》らして、池へ流し込むのだそうであった。
 木曾道中の新版を二三種ばかり、枕《まくら》もとに散らした炬燵へ、ずぶずぶと潜《もぐ》って、「お米さん、……折り入って、お前さんに頼みがある。」と言いかけて、初々《ういうい》しくちょっと俯向《うつむ》くのを見ると、猛然として、喜多八を思い起こして、わが境は一人で笑った。「ははは、心配なことではないよ。――おかげで腹あんばいも至ってよくなったし、……午飯《ひる》を抜いたから、晩には入り合せにかつ食い、大いに飲むとするんだが、いまね、伊作さんが渋苦い顔をして池を睨《にら》んで行きました。どうも、鯉のふとり工合《ぐあい》を鑑定《めきき》したものらしい……きっと今晩の御馳走《ごちそう》だと思うんだ。――昨夜《ゆうべ》の鶫《つぐみ》じゃないけれど、どうも縁あって池の前に越して来て、鯉と隣附き合いになってみると、目の前から引き上げられて、俎《まないた》で輪切りは酷《ひど》い。……板前の都合もあろうし、またわがままを言うのではない。……
 活《いき》づくりはお断わりだが、実は鯉汁《こいこく》大歓
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