バスケットに、等閑《なおざり》に絡《から》めたままの、城あとの崩《くず》れ堀《ぼり》の苔《こけ》むす石垣《いしがき》を這《は》って枯れ残った小さな蔦《つた》の紅《くれない》の、鶫《つぐみ》の血のしたたるごときのを見るにつけても。……急に寂しい。――「お米さん、下階《した》に座敷はあるまいか。――炬燵に入ってぐっすりと寝たいんだ。」
二階の部屋々々は、時ならず商人衆《あきんどしゅう》の出入《ではい》りがあるからと、望むところの下座敷、おも屋から、土間を長々と板を渡って離れ座敷のような十畳へ導かれたのであった。
肱掛窓《ひじかけまど》の外が、すぐ庭で、池がある。
白雪の飛ぶ中に、緋鯉《ひごい》の背、真鯉の鰭《ひれ》の紫は美しい。梅も松もあしらったが、大方は樫槻《かしけやき》の大木である。朴《ほお》の樹《き》の二|抱《かか》えばかりなのさえすっくと立つ。が、いずれも葉を振るって、素裸《すはだか》の山神《さんじん》のごとき装いだったことは言うまでもない。
午後三時ごろであったろう。枝に梢《こずえ》に、雪の咲くのを、炬燵で斜違《はすか》いに、くの字になって――いい婦《おんな》だとお目に掛けたい。
肱掛窓を覗《のぞ》くと、池の向うの椿《つばき》の下に料理番が立って、つくねんと腕組して、じっと水を瞻《みまも》るのが見えた。例の紺の筒袖《つつッぽ》に、尻《しり》からすぽんと巻いた前垂《まえだれ》で、雪の凌《しの》ぎに鳥打帽を被《かぶ》ったのは、いやしくも料理番が水中の鯉を覗くとは見えない。大きな鷭《ばん》が沼の鰌《どじょう》を狙《ねら》っている形である。山も峰も、雲深くその空を取り囲む。
境は山間の旅情を解した。「料理番さん、晩の御馳走《ごちそう》に、その鯉を切るのかね。」「へへ。」と薄暗い顔を上げてニヤリと笑いながら、鳥打帽を取ってお時儀をして、また被り直すと、そのままごそごそと樹《き》を潜《くぐ》って廂《ひさし》に隠れる。
帳場は遠し、あとは雪がやや繁《しげ》くなった。
同時に、さらさらさらさらと水の音が響いて聞こえる。「――また誰か洗面所の口金を開け放したな。」これがまた二度めで。……今朝三階の座敷を、ここへ取り替えない前に、ちと遠いが、手水《ちょうず》を取るのに清潔《きれい》だからと女中が案内をするから、この離座敷《はなれ》に近い洗面所に来ると、三カ所、水道
前へ
次へ
全33ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング