狩、もみじ山だが、いずれ戦《いくさ》に負けた国の、上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》、貴女、貴夫人たちの落人《おちうど》だろう。絶世の美女だ。しゃつ掴出《つかみいだ》いて奉れ、とある。御近習、宮の中へ闖入《ちんにゅう》し、人妻なればと、いなむを捕えて、手取足取しようとしたれば、舌を噛《か》んで真俯向《まうつむ》けに倒れて死んだ。その時にな、この獅子頭を熟《じっ》と視《み》て、あわれ獅子や、名誉の作かな。わらわにかばかりの力あらば、虎狼《とらおおかみ》の手にかかりはせじ、と吐《ほざ》いた、とな。続いて三年、毎年、秋の大洪水よ。何が、死骸《しがい》取片づけの山神主が見た、と申すには、獅子が頭《かしら》を逆《さかしま》にして、その婦《おんな》の血を舐《な》め舐め、目から涙を流いたというが触出《ふれだ》しでな。打続く洪水は、その婦《おんな》の怨《うらみ》だと、国中の是沙汰《これざた》だ。婦《おんな》が前髪にさしたのが、死ぬ時、髪をこぼれ落ちたというを拾って来て、近習が復命をした、白木に刻んだ三輪|牡丹高彫《ぼたんたかぼり》のさし櫛《ぐし》をな、その時の馬上の殿様は、澄《すま》して袂《たもと》へお入れなさった。祟《たたり》を恐れぬ荒気の大名。おもしろい、水を出さば、天守の五重を浸《ひた》して見よ、とそれ、生捉《いけど》って来てな、ここへ打上げたその獅子頭だ。以来、奇異|妖変《ようへん》さながら魔所のように沙汰する天守、まさかとは思うたが、目《ま》のあたり不思議を見るわ。――心してかかれ。
九平 心得た、槍をつけろ。
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討手、槍にて立ちかかる。獅子狂う。討手|辟易《へきえき》す。修理、九平等、抜連れ抜連れ一同|立掛《たちかか》る。獅子狂う。また辟易す。
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修理 木彫にも精がある。活《い》きた獣も同じ事だ。目を狙《ねら》え、目を狙え。
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九平、修理、力を合せて、一刀《ひとたち》ずつ目を傷《きずつ》く、獅子伏す。討手その頭《かしら》をおさう。
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図書 (母衣《ほろ》を撥退《はねの》け刀を揮《ふる》って出づ。口々に罵《ののし》る討手と、一刀合すと斉《ひと》しく)ああ、目が見えない。(押倒され、取って伏せらる)無念。
夫人 (獅子の頭をあげつつ、すっくと立つ。黒髪乱れて面《おもて》凄《すご》し。手に以前の生首の、もとどりを取って提ぐ)誰の首だ、お前たち、目のあるものは、よっく見よ。(どっしと投ぐ。)
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――討手わッと退き、修理、恐る恐るこれを拾う。
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修理 南無三宝《なむさんぽう》。
九平 殿様の首だ。播磨守|様御首《みしるし》だ。
修理 一大事とも言いようなし。御同役、お互に首はあるか。
九平 可恐《おそろし》い魔ものだ。うかうかして、こんな処に居べきでない。
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討手一同、立つ足もなく、生首をかこいつつ、乱れて退く。
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図書 姫君、どこにおいでなさいます。姫君。
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夫人、悄然《しょうぜん》として、立ちたるまま、もの言わず。
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図書 (あわれに寂しく手探り)姫君、どこにおいでなさいます。私《わたくし》は目が見えなくなりました。姫君。
夫人 (忍び泣きに泣く)貴方、私も目が見えなくなりました。
図書 ええ。
夫人 侍女《こしもと》たち、侍女たち。――せめては燈《あかり》を――
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――皆、盲目《めくら》になりました。誰も目が見えませんのでございます。――(口々に一同はっと泣く声、壁の彼方《かなた》に聞ゆ。)
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夫人 (獅子頭とともにハタと崩折《くずお》る)獅子が両眼を傷つけられました。この精霊《しょうりょう》で活きましたものは、一人も見えなくなりました。図書様、……どこに。
図書 姫君、どこに。
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さぐり寄りつつ、やがて手を触れ、はっと泣き、相抱《あいいだ》く。
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夫人 何と申そうようもない。貴方お覚悟をなさいまし。今持たせてやった首も、天守を出れば消えましょう。討手は直ぐに引返して参ります。私一人は、雲に乗ります、風に飛びます、虹《にじ》の橋も渡ります。図書様には出来ません。ああ口惜《くやし》い。あれら討手のものの目に、蓑笠着ても天人の二人揃った姿を見せて、日の出、月の出、夕日影にも、おがませようと思ったのに、私の方が盲目になっては、ただお生命《いのち》さえ助けられない。堪忍して下さいまし。
図書 くやみません! 姫君、あなたのお手に掛けて下さい。
夫人 ええ、人手には掛けますまい。そのかわり私も生きてはおりません、お天守の塵《ちり》、煤《すす》ともなれ、落葉になって朽ちましょう。
図書 やあ、何のために貴女が、美しい姫の、この世にながらえておわすを土産に、冥土《めいど》へ行《ゆ》くのでございます。
夫人 いいえ、私も本望でございます、貴方のお手にかかるのが。
図書 真実のお声か、姫君。
夫人 ええ何の。――そうおっしゃる、お顔が見たい、ただ一目。……千歳《ちとせ》百歳《ももとせ》にただ一度、たった一度の恋だのに。
図書 ああ、私《わたくし》も、もう一目、あの、気高い、美しいお顔が見たい。(相縋《あいすが》る。)
夫人 前世も後世《ごせ》も要らないが、せめてこうして居とうござんす。
図書 や、天守下で叫んでいる。
夫人 (屹《きっ》となる)口惜《くや》しい、もう、せめて一時《いっとき》隙《ひま》があれば、夜叉ヶ池のお雪様、遠い猪苗代の妹分に、手伝を頼もうものを。
図書 覚悟をしました。姫君、私《わたくし》を。……
夫人 私は貴方に未練がある。いいえ、助けたい未練がある。
図書 猶予をすると討手の奴《やつ》、人間なかまに屠《ほふ》られます、貴女が手に掛けて下さらずば、自分、我が手で。――(一刀を取直す。)
夫人 切腹はいけません。ああ、是非もない。それでは私が御介錯《ごかいしゃく》、舌を噛切《かみき》ってあげましょう。それと一所に、胆《きも》のたばねを――この私の胸を一思いに。
図書 せめてその、ものをおっしゃる、貴方の、ほのかな、口許《くちもと》だけも、見えたらばな。
夫人 貴方の睫毛《まつげ》一筋なりと。(声を立ててともに泣く。)
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奥なる柱の中に、大音あり。――
――待て、泣くな泣くな。――
工人、近江之丞桃六《おうみのじょうとうろく》、六十《むそ》じばかりの柔和なる老人。頭巾《ずきん》、裁着《たッつけ》、火打袋を腰に、扇を使うて顕《あらわ》る。
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桃六 美しい人たち泣くな。(つかつかと寄って獅子の頭《かしら》を撫《な》で)まず、目をあけて進ぜよう。
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火打袋より一挺《ちょう》の鑿《のみ》を抜き、双の獅子の眼《まなこ》に当《あ》つ。
――夫人、図書とともに、あっと云う――
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桃六 どうだ、の、それ、見えよう。はははは、ちゃんと開《あ》いた。嬉しそうに開いた。おお、もう笑うか。誰《た》がよ誰がよ、あっはっはっ。
夫人 お爺様《じいさん》。
図書 御老人、あなたは。
桃六 されば、誰かの櫛《くし》に牡丹《ぼたん》も刻めば、この獅子頭も彫った、近江之丞桃六と云う、丹波《たんば》の国の楊枝削《ようじけずり》よ。
夫人 まあ、(図書と身を寄せたる姿を心づぐ)こんな姿を、恥かしい。
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図書も、ともに母衣《ほろ》を被《かつ》ぎて姿を蔽《おお》う。
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桃六 むむ、見える、恥しそうに見える、極《きま》りの悪そうに見える、がやっぱり嬉しそうに見える、はっはっはっはっ。睦《むつま》じいな、若いもの。(石を切って、ほくちをのぞませ、煙管《きせる》を横銜《よこぐわ》えに煙草《たばこ》を、すぱすぱ)気苦労の挙句は休め、安らかに一|寝入《ねいり》さっせえ。そのうちに、もそっと、その上にも清《すずし》い目にして進ぜよう。
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鑿《のみ》を試む。月影さす。
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そりゃ光がさす、月の光あれ、眼玉。(鑿を試み、小耳を傾け、鬨《とき》のごとく叫ぶ天守下の声を聞く)
世は戦《いくさ》でも、胡蝶《ちょう》が舞う、撫子《なでしこ》も桔梗《ききょう》も咲くぞ。――馬鹿めが。(呵々《からから》と笑う)ここに獅子がいる。お祭礼《まつり》だと思って騒げ。(鑿を当てつつ)槍、刀、弓矢、鉄砲、城の奴等《やつら》。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]――幕――
[#地から1字上げ]大正六(一九一七)年九月
底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十六卷」岩波書店
1942(昭和17)年10月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:染川隆俊
2006年9月21日作成
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