目をさえ疑うけれども、肥大漢《でっぷりもの》は、はじめから、裸体《はだか》になってまで、烏帽子《えぼし》のようなものをチョンと頭にのせていた。

「奇人だ。」
「いや、……崖下《がけした》のあの谷には、魔窟があると言う。……その種々《いろいろ》の意味で。……何しろ十年ばかり前には、暴風雨《あらし》に崖くずれがあって、大分、人が死んだ処《ところ》だから。」――
 と或《ある》友だちは私に言った。
 炎暑、極熱のための疲労《つかれ》には、みめよき女房の面《おもて》が赤馬《あかうま》の顔に見えたと言う、むかし武士《さむらい》の話がある。……霜《しも》が枝に咲くように、汗――が幻を描いたのかも知れない。が、何故《なぜ》か、私は、……実を言えば、雀の宿にともなわれたような思いがするのである。
 かさねてと思う、日をかさねて一月《ひとつき》にたらず、九月|一日《いちにち》のあの大地震であった。
「雀たちは……雀たちは……」
 火を避けて野宿しつつ、炎の中に飛ぶ炎の、小鳥の形を、真夜半《まよなか》かけて案じたが、家に帰ると、転げ落ちたまま底に水を残して、南天《なんてん》の根に、ひびも入《い》らずに残った手水鉢《ちょうずばち》のふちに、一羽、ちょんと伝っていて、顔を見て、チイと鳴いた。
 後に、密《そっ》と、谷の家を覗《のぞ》きに行った。近づくと胸は轟《とどろ》いた。が、ただ焼原《やけはら》であった。
 私は夢かとも思う。いや、雀の宿の気がする。……あの大漢《おおおとこ》のまる顔に、口許《くちもと》のちょぼんとしたのを思え。卯《う》の毛で胡粉《ごふん》を刷《は》いたような女の膚《はだ》の、どこか、頤《あぎと》の下あたりに、黒いあざはなかったか、うつむいた島田髷《しまだ》の影のように――
 おかしな事は、その時|摘《つ》んで来たごんごんごまは、いつどうしたか定かには覚えないのに、秋雨《あきさめ》の草に生えて、塀を伝っていたのである。
「どうだい、雀。」
 知らぬ顔して、何にも言わないで、南天燭《なんてん》の葉に日の当る、小庭に、雀はちょん、ちょんと遊んでいる。



底本:「鏡花短篇集」川村二郎編、岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二七卷」岩波書店
   1942(昭和17)年10月
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
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