丸官、たかを聞いてさえぶるぶるする。これ、この通り震えるわい。)で、胴肩を一つに揺《ゆす》り上げて、(大胆ものめが、土性骨の太い奴《やち》や。主人のものだとたかを括《くく》って、大金を何の糟《かす》とも思いくさらん、乞食を忘れたか。)
と言う。
目に涙を一杯ためて、(御免下さいまし、)と、退《すさ》って廊下へ手を支《つ》くと、(あやまるに及ばん、よく、考えて、何と計らうべきか、そこへくい附いて分別して返答せい。……石になるまで、汝《わり》ゃ動くな。)とまた柿を引手繰《ひったく》って、かツかツと喰いかきながら、(止《や》めちまえ、馬鹿、)と舞台へ怒鳴る。
(旦那様、旦那様、)多一が震声《ふるえごえ》で呼んだと思え。
(早いな、汝《われ》がような下根《げこん》な奴には、三年かかろうと思うた分別が、立処《たちどころ》は偉い。俺《おれ》を呼ぶからには工夫が着いたな。まず、褒美《ほうび》を遣る。そりゃ頂け、)と柿の蔕《へた》を、色白な多一の頬へたたきつけた。
(もし、御寮人様、)と熟《じっ》と顔を見て、(どうしましたら宜《よろ》しいのでございましょう、)と縋《すが》るようにして言ったか言わぬに、(猿曳《さるひき》め、汝《われ》ゃ、婦《おんな》に、……畜生、)と喚《わめ》くが疾《はや》いか、伸掛《のしかか》って、ピシリと雁首《がんくび》で額を打《ぶ》ったよ。羅宇《らう》が真中《まんなか》から折れた。
こちらの桟敷に居た娘が、誰より先に、ハッと仕切へ顔を伏せる、と気を打たれたか、驚いた顔をして、新高の、ちょうど下に居た一人商人風の男が、中腰に立って上を見た。
芸妓達も一時《いっとき》に振向いて目を合せた、が、それだけさ。多一が圧《おさ》えた手の指から、たらたらと糸すじのように血の流れるのを見たばかり、どうにも手のつけようがなさそうな容子《ようす》には弱ったね。おまけに知らない振《ふり》をして、そのまま芝居を見る姉さんがあるじゃないか。
私は、ふいと立って、部屋へ帰った。
傍《そば》に居ちゃ、もうこっちが撮出《つまみだ》されるまでも、横面《よこつら》一ツ打挫《うちひしゃ》がなくッては、新橋へ帰られまい。が、私が取組合《とっくみあ》った、となると、随分舞台から飛んで来かねない友だちが一人居るんだからね。
頭痛がする、と楽屋へ横になったッきり、あとの事は知りません。道頓堀で、別に半鐘を打たなかったから、あれなり、ぐしゃぐしゃと消えたんだろう。
その婦《おんな》だ、呆れたぐうたらだと思ったが、」
「もし、もし、」
と男衆が、初阪の袖を、ぐい、と引いた。
十四
歩行《ある》くともなく話しながらも、男の足は早かった。と見ると、二人から十四五間、真直《まっすぐ》に見渡す。――狭いが、群集《ぐんじゅ》の夥《おびただ》しい町筋を、斜めに奴《やっこ》を連れて帰る――二個《ふたつ》、前後《あとさき》にすっと並んだ薄色の洋傘《こうもり》は、大輪の芙蓉《ふよう》の太陽《ひ》を浴びて、冷たく輝くがごとくに見えた。
水打った地《つち》に、裳《もすそ》の綾《あや》の影も射《さ》す、色は四辺《あたり》を払ったのである。
「やあ、居る……」
と、思わず初阪が声を立てる、ト両側を詰めた屋ごとの店、累《かさな》り合って露店もあり。軒にも、路にも、透間《すきま》のない人立《ひとだち》したが、いずれも言合せたように、その後姿を見送っていたらしいから、一見|赤毛布《あかげっと》のその風采《ふう》で、慌《あわただ》しく(居る、)と云えば、件《くだん》の婦《おんな》に吃驚《びっくり》した事は、往来《ゆきき》の人の、近間なのには残らず分った。
意気な案内者|大《おおい》に弱って、
「驚いては不可《いけ》ません。天満の青物市です。……それ、真正面《まっしょうめん》に、御鳥居を御覧なさい。」
はじめて心付くと、先刻《さっき》視《なが》めた城に対して、稜威《みいず》は高し、宮居《みやい》の屋根。雲に連なる甍《いらか》の棟は、玉を刻んだ峰である。
向って鳥居から町一筋、朝市の済んだあと、日蔽《ひおおい》の葭簀《よしず》を払った、両側の組柱は、鉄橋の木賃に似て、男も婦《おんな》も、折から市人《いちびと》の服装《なり》は皆黒いのに、一ツ鮮麗《あざやか》に行《ゆ》く美人の姿のために、さながら、市松障子の屋台した、菊の花壇のごとくに見えた。
「音に聞いた天満の市へ、突然《いきなり》入ったから驚いたんです。」
「そうでしょう。」
擦違《すれちが》った人は、初阪《もの》の顔を見て皆|笑《わらい》を含む。
両人《ふたり》は苦笑した。
「ほっこり、暖《あったか》い、暖い。」
蒸芋《ふかしいも》の湯気の中に、紺の鯉口《こいぐち》した女房が、ぬっくりと立って呼ぶ
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