返った洋服の亡者|一個《ひとり》、掌《てのひら》に引丸《ひんまろ》げて、捌《さばき》を附けなけりゃ立ちますまい。
 ところが不可《いけな》い。その騒ぐ事、暴れる事、桟敷へ狼を飼ったようです。(泣くな、わい等、)と喚《わめ》く――君の親方が立女形《たておやま》で満場水を打ったよう、千百の見物が、目も口も頭も肩も、幅の広いただ一|人《にん》の形になって、啜泣《すすりな》きの声ばかり、誰が持った手巾《ハンケチ》も、夜会草の花を昼間見るように、ぐっしょり萎《しぼ》んで、火影の映るのが血を絞るような処だっけ――(芝居を見て泣く奴があるものかい、や、怪体《けたい》な!
 舞台でも何を泣《ほ》えくさるんじゃい。かッと喧嘩《けんか》を遣れ、面白うないぞ! 打殺《たたきころ》して見せてくれ。やい、腸《はらわた》を掴出《つかみだ》せ、へん、馬鹿な、)とニヤリと笑う。いや、そのね、ニヤリと北叟笑《ほくそえ》みをする凄《すご》さと云ったら。……待てよ、この御寮人が内証《ないしょ》で情人《いろ》をこしらえる。嫉妬《しっと》でその妾の腸《はらわた》を引摺《ひきず》り出す時、きっと、そんな笑い方をする男に相違ないと思った。
 可哀《あわれ》を留《とど》めたのは取巻連さ。
 夢中になって、芝居を見ながら、旦那が喚《わめ》くたびに、はっとするそうで、皆《みんな》が申合わせた形で、ふらりと手を挙げる。……片手をだよ。……こりゃ、私の前を塞《ふさ》いだ肥満女《ふとっちょ》も同じく遣った。
 その癖、黙然《だんまり》でね、チトもしお静《しずか》に、とも言い得ない。
 すると、旦那です……(馬鹿め、止《や》めちまえ、)と言いながら、片手づきの反身《そりみ》の肩を、御寮人さ、そのお珊の方の胸の処へ突《つき》つけて、ぐたりとなった。……右の片手を逆に伸して、引合せたコオトの襟を引掴《ひッつか》んで、何か、自分の胸が窮屈そうに、こう※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いて、引開《ひっぱだ》けようとしたんだがね、思う通りにならなかったもんだから、(ええ)と云うと、かと開《はだ》けた、細い黄金鎖《きんぐさり》が晃然《きらり》と光る。帯を掴んで、ぐい、と引いて、婦《おんな》の膝を、洋服の尻へ掻込《かいこ》んだりと思うと、もろに凭懸《もたれかか》った奴が、ずるずると辷《すべ》って、それなり真仰向《まあお
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