つるのひとつくるところのきぬなり》白絹也《しろききぬなり》と侍中群要《ぢちうぐんえう》に見えたりとか。貞丈雑記《ていぢやうざつき》に、湯を召さするに常の衣《きぬ》の上に白き生絹《きぎぬ》、其《その》白《しろ》き生絹の衣《い》を、湯巻ともいまきともいふなり。こは湯の滴《したたり》の飛びて衣を濡すを防ぐべきための衣なり、とあり。俗に婦人の腰に纏ふ処の

     湯具《ゆぐ》

 といふものを湯巻といふは違へりとぞ。今の湯具は古《いにしへ》の下裳《したも》に代用したる下部《かぶ》を蔽《おほ》ふの衣《い》なり。嬉遊笑覧《きいうせうらん》に、湯具《ゆぐ》といふは、男女《なんによ》ともに前陰《ぜんいん》を顕して湯に入ることはもとなき事にて必ず下帯をきかえて湯に入るゆゑ湯具といふ。古の女は、下賤なるも袴《はかま》着《き》たれば、下裳《したも》さへなく唯肌着を紐にて結びたり。これをこそ下帯とはいふなりけれ。伊勢物語に、「二人して結びし紐を一人して相見るまでは解かじとぞ思ふ」思ふに下裳《したも》は小児《せうに》の附紐の如く肌着に着けたる紐なるべし。或は今下じめといふものの如く結びたるものならむか。応永に書きたる日高川の絵巻物には、女、裸にて今の湯具めくものを着けて河に入らむとする処を写せり、恐らくこれ下裳なるべし、とおなじ書に見ゆ。湯具に紐つけることはむかしは色里になかりしとぞ。西鶴が胸算用に(湯具も木紅の二枚かさね)と云々《しかじか》あはせて作りたるものありしと見えたり。ともかくも湯具と湯巻は全然別物なりと知らるべし。紫式部日記に、ゆまきすがた、といへるは、豈《あに》腰《こし》にまとふに布のみを以てしたる裸美人《らびじん》ならむや。

     襦袢《じゆばん》

 源氏枕草子等に、かざみといへるもの字に汗衫《かざみ》と書くは即ちいまの襦袢なり。汗取《あせとり》の帷子《かたびら》とおなじき種類にして直ちに肌に着る衣《きぬ》なり。今人々の用ふるは半衣《はんい》にして袖口を着く、婦人にはまた長襦袢あり。

     犢鼻褌《ふどし》[#ルビの「ふ」と「どし」の間に「(ママ)」の注記]

 木綿の布六尺、纏うて腰部を蔽ふもの、これを犢鼻褌《ふんどし》と謂ふ。越中、もつこう等はまた少しく異なれり。長崎日光の辺《へん》にて、はこべといひ、奥州にてへこしといふも、こはたゞ名称の異なれるのみ。また、たふさぎといふよしは、手にて前を塞ぎ秘すべきを、手のかはりに布にておほふゆゑにいふなりとぞ。(何《ど》うでもいゝ。)



底本:「日本の名随筆38 装」作品社
   1985(昭和60)年12月25日第1刷発行
   1999(平成11)年10月20日第13刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十八卷」岩波書店
   1942(昭和17)年11月30日
※修正箇所は底本の親本を参照しました。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2008年12月1日作成
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