を掛けると訳もなく開《あ》きましたと申します。
 何事も思わず開けて入り、上框《あがりがまち》に立ちましたが、帳場に寝込んでおりますから、むざとは入らないで、
「篠田、篠田。」
 と高らかに呼《よば》わりますると、三声とは懸けさせず、篠田は早速に下りて来て、
「ああ、今帰ったのかえ、さあさあまあ上りたまえ。」
 と急遽《いそいそ》先に立ちます。小宮山は後に跟《つ》いて二階に上り、座敷に通ると、篠田が洋燈《ランプ》を持ったまま、入口に立停《たちどま》って、内を透《すか》し、
「おや、」と言って、きょろきょろ四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》しておりまするが、何か気抜のしたらしい。小宮山はずっと寄って、その背《せな》を叩かぬばかり、
「どうした。」
「もう何も彼《か》も御存じの事だから、ちっとも隠す事はない、ただ感謝するんだがね、君が連れて来て一足先へ入ったお雪が、今までここに居たのに、どこへ行ったろう。」
 と真顔になって申しまする。
 小宮山はまた悚然《ぞっ》とした。
「ええ、お雪さんが、どんな様子で。」
「実は今夜本を見て起きていると、たった今だ、しきりにお頼み申しますと言う女の声、誰に用があって来たのか知らぬが、この雨の中をさぞ困るだろうと、僕が下りて行って開けてやったが、見るとお雪じゃないか。小宮山さんと一所だと言う、体は雨に濡れてびっしょり絞るよう、話は後からと早速ここへ連れて来たが、あの姿で坐っていた、畳もまだ湿っているだろうよ。」
 と篠田はうろうろしてばたばた畳の上を撫でてみまする。この様子に小宮山は、しばらく腕組をして、黙って考えていましたが、開き直ったという形で、
「篠田、色々話はあるが、何も彼も明日《あした》出直して来よう、それまでまあ君心を鎮めて待ってくれ。それじゃ託《ことづか》り物を渡したぜ。」
「ええ。」
「いえ、託《あずか》り物は渡したんだぜ。」
「託り物って何だ。」
「今受取ったそれさ。」
「何を、」と篠田は目も据《すわ》らないで慌てております。
「まあ、受取ったと言ってくれ。ともかくも言ってくれ、後で解る事だから頼む、後生だから。」
 魂の請状《うけじょう》を取ろうとするのでありますから、その掛引は難かしい、無暗《むやみ》と強いられて篠田は夢|現《うつつ》とも弁《わきま》えず、それじゃそうよ、請取った
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