ね、居ると分ったら、門口《かどぐち》から引返《ひっかえ》[#ルビの「ひっかえ」は底本では「ひつかへ」]して、どこかで呼ぶんだっけ。媽々《かかあ》が追掛《おっかけ》るじゃないか。仕方なし奥へ入ったんだ。一間《ひとま》しかありやしない。すぐの長火鉢の前に媽々は控えた、顔の遣場《やりば》もなしに、しょびたれておりましたよ、はあ。
 光った旦那じゃなし、飛んだお前の外聞だっけね、済まなかったよ。」
「あれ、お前さんも性悪《しょうわる》をすると見えて、ひがむ事を覚えたね。誰が外聞だと申しました、俊さん、」
 取った袂に力が入って、
「女房《おかみ》さんに、悟られると、……だと悟られると、これから逢うのに、一々、勘定が要るじゃありませんか。おまいりだわ、お稽古だわッて内証《ないしょ》で逢うのに出憎いわ。
 はじめの事は知ってるから私の年が年ですからね。主人の方じゃ目くじらを立てていますもの、――顔を見られてしまってさ……しょびたれていましたよ、はあ。――お前の外聞だっけね、済まなかった。……誰が教えたの。」
 とフフンと笑って、
「素人だね。」

       八

「……わざと口数も利かないで、一生懸命に我慢をしていた、御免なさいよ。」
 声がまた悄《しお》れて沈んで、
「何にも言わないで、いきなり噛《かじ》りつきたかったんだけれど、澄し返って、悠々と髪を撫着《なでつ》けたりなんかして。」
「行場《ゆきば》がないから、熟々《しみじみ》拝見をしましたよ、……眩《まぶ》しい事でございました。」
「雪のようでしょう、ちょっと片膝立てた処なんざ、千年ものだわね、……染ちゃん大分御念入だねなんて、いつもはもっと塗れ、もっと髱《たぼ》を出せと云う女房《おかみ》さんが云うんだもの。どう思ったか知らないけれど、大抵こんがらかったろうと私は思うの。
 そりゃ成りたけ、よくは見せたいが弱身だって、その人の見る前じゃあねえ、……察して頂戴。私はお前さんに恥かしかったわ、お乳なんか。」
 と緊《し》められるように胸を圧《おさ》えた、肩が細《ほっそ》りとして重そうなので、俊吉が傘を取る、と忘れたように黙って放す。
「いいえ、結構でございました、湯あがりの水髪で、薄化粧を颯《さっ》と直したのに、別してはまた緋縮緬《ひぢりめん》のお襦袢《じゅばん》を召した処と来た日にゃ。」
「あれさ、止《よ》して頂戴……
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