と手足をあがいて附着《くッつ》く。
 電車は見る見る中に黒く幅ったくなって、三台五台、群衆を押離すがごとく雨に洗い落したそうに軋《きし》んで出る。それをも厭《いと》わない浅間しさで、児《こ》を抱いた洋服がやっと手を縋《すがっ》って乗掛《のっか》けた処を、鉄棒で払わぬばかり車掌の手で突離された。よろめくと帽子が飛んで、小児《こども》がぎゃっと悲鳴を揚げた。
 この発奮《はずみ》に、
「乗るものか。」
 濡れるなら濡れろ、で、奮然として駈出《かけだ》したが。
 仲見世から本堂までは、もう人気もなく、雨は勝手に降って音も寂寞《ひっそり》としたその中を、一思いに仁王門も抜けて、御堂《みどう》の石畳を右へついて廻廊の欄干を三階のように見ながら、廂《ひさし》の頼母《たのも》しさを親船の舳《みよし》のように仰いで、沫《しぶき》を避《よ》けつつ、吻《ほつ》と息。
 濡れた帽子を階段|擬宝珠《ぎぼし》に預けて、瀬多の橋に夕暮れた一人旅という姿で、茫然《ぼうぜん》としてしばらく彳《たたず》む。……
 風が出て、雨は冷々《ひやひや》として小留《おや》むらしい。
 雫《しずく》で、不気味さに、まくっていた袖をおろして、しっとりとある襟を掻合《かきあわ》す。この陽気なればこそ、蒸暑ければ必定雷鳴が加わるのであった。
 早や暮れかかって、ちらちらと点《とも》れる、灯の数ほど、ばらばら誰彼《たそがれ》の人通り。
 話声がふわふわと浮いて、大屋根から出た蝙蝠《こうもり》のように目前に幾つもちらつくと、柳も見えて、樹立《こだち》も見えて、濃く淡く墨になり行く。
 朝から内を出て、随分|遠路《とおみち》を掛けた男は、不思議に遥々《はるばる》と旅をして、広野の堂に、一人雨宿りをしたような気がして、里懐かしさ、人恋しさに堪えやらぬ。
「訪ねてみようか、この近処だ。」
 既に、駈込《かけこ》んで、一呼吸《ひといき》吐《つ》いた頃から、降籠《ふりこ》められた出前《でさき》の雨の心細さに、親類か、友達か、浅草辺に番傘一本、と思うと共に、ついそこに、目の前に、路地の出窓から、果敢《はか》ない顔を出して格子に縋《すが》って、此方《こなた》を差覗《さしのぞ》くような気がして、筋骨《すじぼね》も、ひしひしとしめつけられるばかり身に染みた、女の事が……こうした人懐しさにいや増《まさ》る。……
 ここで逢うのは、旅路|遥《
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