ゞ》いたら、姿《すがた》が近《ちか》く戻《もど》るのだらう、――と誰《た》が言《い》ふともなく自分《じぶん》で安心《あんしん》して、益々《ます/\》以前《もと》の考《かんがへ》に耽《ふけ》つて居《ゐ》ると、榾《ほだ》を焚《た》くか、炭《すみ》を焼《や》くか、谷間《たにま》に、彼方此方《かなたこなた》、ひら/\、ひら/\と蒼白《あをじろ》い炎《ほのほ》が揚《あが》つた。
 思《おも》はず彫像《てうざう》を焼《や》いた暖炉《ストーブ》の火《ひ》に心着《こゝろづ》いて、何故《なぜ》か、急《きふ》に女《をんな》の身《み》が危《あや》ぶまれて来《き》た。
『お浦《うら》。』
と呼《よ》んだが返事《へんじ》をしない。
『お浦《うら》、お浦《うら》。』と言《い》つたが、返事《へんじ》を為《し》ない。雪枝《ゆきえ》最《も》うきよろ/\し出《だ》した、其《それ》で二足三足《ふたあしみあし》づゝ、前後左右《ぜんごさいう》を、ばた/\と行《い》つたり、来《き》たり……
 慌《あはたゞ》しく成《な》つて来《き》た。
 第一《だいいち》、お浦《うら》ばかりぢやない、其処《そこ》に居《ゐ》た婆《ばあ》さんも見《み》えなければ、其《それ》らしい店《みせ》もない。
 いや、これは可怪《おかし》いぞ。一人《ひとり》ばかり居《ゐ》ないのなら、女《をんな》が何《ど》うかしたのだらうが、店《みせ》も婆《ばあ》さんもなくなつた、とすると……前方《さき》が攫《さら》はれたのぢやなくつて、自分《じぶん》が魅《つま》まれたものらしい。
『おゝい、おゝい。』
と智恵《ちゑ》のない声《こゑ》をしながら、無暗《むやみ》に人《ひと》を呼《よ》んで、雪枝《ゆきえ》は山路《やまみち》を駆《かけ》づり廻《まは》つた。

         十四

「段々《だん/\》暗《くら》くなる、最《も》う目《め》は眩《くら》む、風《かぜ》が吹出《ふきだ》す。此《こ》の風《かぜ》は……昼間《ひるま》蒼《あを》く澄《す》んだ山《やま》の峡《かひ》から起《おこ》つて、障《さは》つて来《く》る樹《き》の枝《えだ》、岩角《いはかど》、谷間《たにあひ》に、白《しろ》い雲《くも》のちぎれて鳥《とり》の留《とま》るやうに見《み》えたのは未《ま》だ雪《ゆき》が残《のこ》つたのか、……と思《おも》ふほど横面《よこづら》を削《けづ》つて冷《つめ》たかつた。
『ま……、何処《どこ》へござらつしやる、旦那《だんな》。』
とすた/\小走《こばし》りに駆《か》けて来《き》て、背後《うしろ》から袂《たもと》を引留《ひきと》めた、山稼《やまかせ》ぎの若《わか》い男《をとこ》があつた。
『お城趾《しろあと》へ行《ゆ》かしつては成《な》りましねえだよ。日《ひ》も暮《く》れたに、当事《あてこと》もねえ。』と少《すこ》し叱《しか》つて言《い》ふ。
 煙《けむり》が立《た》つて、づん/\とあがる坂《さか》一筋《ひとすぢ》、やがて、其《そ》の煙《けむり》の裙《すそ》が下伏《したぶ》せに、ぱつと拡《ひろ》がつたやうな野末《のずゑ》の処《ところ》へ掛《かゝ》つて居《ゐ》ました。」
 雪枝《ゆきえ》は胸《むね》を伸上《のしあ》げて、岬《みさき》が突出《つきで》た湾《わん》の外《そと》を臨《のぞ》むが如《ごと》く背後状《うしろざま》に広野《ひろの》を視《なが》めた。……東雲《しのゝめ》の雲《くも》は其《そ》の野末《のずゑ》を離《はな》れて、細《ほそ》く長《なが》く縦《たて》に蒼空《あをぞら》の糸《いと》を引《ひ》いて、上《のぼ》つて行《ゆ》く、……人《ひと》も馬《うま》も、其処《そこ》を通《とほ》つたら、ほつほつと描《ゑが》かれやう、鳥《とり》も飛《と》ばゞ見《み》えやう、――けれども天守《てんしゆ》の屋根《やね》は森《もり》が包《つゝ》んで、霞《かすみ》がくれに尚《なほ》暗《くら》い。其《そ》の上《うへ》、野《の》の果《はて》を引上《ひきあげ》る雲《くも》も此方《こなた》をさして畳《たゝ》まつて来《く》るやうで、老爺《ぢゞい》と差向《さしむか》つた中空《なかぞら》は厚《あつ》さが増《ま》す。其《そ》の濃《こ》く暗《くら》い奥《おく》から、黄金色《こがねいろ》に赤味《あかみ》の注《さ》した雲《くも》が、むく/\と湧出《わきだ》す、太陽《たいやう》は其処《そこ》まで上《のぼ》つた――汀《みぎは》の蘆《あし》の枯《か》れた葉《は》にも、さすがに薄《うす》い光《ひかり》がかゝつて、角《つの》ぐむ芽生《めばえ》もやゝ煙《けぶ》りかけた。此《こ》の煙《けむり》は月夜《つきよ》のやうに水《みづ》の上《うへ》にも這《は》ひ懸《かゝ》る。船《ふね》の焼《や》けた余波《なごり》は分解《わか》ず……唯《たゞ》陽炎《かげらふ》が頻《しきり》に形《かたち》づくりするのが分解《わ
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