》の手が榊を清水にひたして冷すうちに、ブライツッケルの冷罨法《れいあんぽう》にも合《かな》えるごとく、やや青く、薄紫にあせるとともに、乳《ち》が銀の露に汗ばんで、濡色の睫毛《まつげ》が生きた。
 町へ急ぐようにと云って、媼はなおあとへ残るから、
「お前様は?」
 お誓が聞くと、
「姫神様がの、お冠の纓《ひも》が解けた、と御意じゃよ。」

 これを聞いて、活ける女神《じょしん》が、なぜみずからのその手にて、などというものは、烏帽子折《えぼしおり》を思わるるがいい。早い処は、さようなお方は、恋人に羽織をきせられなかろう。袴腰も、御自分で当て、帽子も、御自分で取っておかぶりなさい。

       五

 神巫《いちこ》たちは、数々《しばしば》、顕霊を示し、幽冥《ゆうめい》を通じて、俗人を驚かし、郷土に一種の権力をさえ把持《はじ》すること、今も昔に、そんなにかわりなく、奥羽地方は、特に多い、と聞く。
 むかし、秋田何代かの太守が郊外に逍遥《しょうよう》した。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が領分に口寄《くちよせ》の巫女《いちこ》があると聞く、いまだ試みた事がない。それへ案内《あない》をせよ。太守は人麿の声を聞こうとしたのである。

 しのびで、裏町の軒へ寄ると、破屋《あばらや》を包む霧寒く、松韻|颯々《さつさつ》として、白衣《びゃくえ》の巫女が口ずさんだ。
「ほのぼのと……」
 太守は門口《かどぐち》を衝《つ》と引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あの輩《やから》の教化は、士分にまで及ぶであろうか。」「泣きみ、笑いみ……ははッ、ただ婦女子のもてあそびものにござりまする。」「さようか――その儀ならば、」……仔細《しさい》ない。
 が、孫八の媼《うば》は、その秋田辺のいわゆる(おかみん)ではない。越後路《えちごじ》から流漂《るひょう》した、その頃は色白な年増であった。呼込んだ孫八が、九郎判官は恐れ多い。弁慶が、ちょうはん、熊坂ではなく、賽《さい》の目の口でも寄せようとしたのであろう。が、その女|振《ぶり》を視《み》て、口説《くど》いて、口を遁《に》げられたやけ腹に、巫女の命とする秘密の箱を攫《さら》って我が家を遁げて帰らない。この奇略は、モスコオの退都
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