に、教授《けうじゆ》が二人《ふたり》、某中學生《それのちうがくせい》が十五|人《にん》、無慙《むざん》にも凍死《とうし》をしたのでした。――七|年前《ねんぜん》――
雪難之碑《せつなんのひ》は其《そ》の記念《きねん》ださうであります。
――其《そ》の時《とき》、豫《かね》て校庭《かうてい》に養《やしな》はれて、嚮導《きやうだう》に立《た》つた犬《いぬ》の、恥《は》ぢて自《みづか》ら殺《ころ》したとも言《い》ひ、然《しか》らずと言《い》ふのが――こゝに顯《あらは》れたのでありました。
一行《いつかう》が遭難《さうなん》の日《ひ》は、學校《がくかう》に例《れい》として、食饌《しよくせん》を備《そな》へるさうです。丁度《ちやうど》其《そ》の夜《よ》に當《あた》つたのです。が、同《おな》じ月《つき》、同《おな》じ夜《よ》の其《そ》の命日《めいにち》は、月《つき》が晴《は》れても、附近《ふきん》の町《まち》は、宵《よひ》から戸《と》を閉《と》ぢるさうです、眞白《まつしろ》な十七|人《にん》が縱横《じうわう》に町《まち》を通《とほ》るからだと言《い》ひます――後《あと》で此《これ》を聞《き》きました。
私《わたし》は眠《ねむ》るやうに、學校《がくかう》の廊下《らうか》に倒《たふ》れて居《ゐ》ました。
翌早朝《よくさうてう》、小使部屋《こづかひべや》の爐《ゐろり》の焚火《たきび》に救《すく》はれて蘇生《よみがへ》つたのであります。が、いづれにも、然《しか》も、中《なか》にも恐縮《きようしゆく》をしましたのは、汽車《きしや》の厄《やく》に逢《あ》つた一|人《にん》として、驛員《えきゐん》、殊《こと》に驛長《えきちやう》さんの御立會《おたちあひ》に成《な》つた事《こと》でありました。
底本:「鏡花全集 卷二十一」岩波書店
1941(昭和16)年9月30日第1刷発行
1975(昭和50)年7月2日第2刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2005年11月1日作成
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