……夢中《むちう》で、色《いろ》の褪《あ》せた、天井《てんじやう》の低《ひく》い、皺《しわ》だらけな蚊帳《かや》の片隅《かたすみ》を掴《つか》んで、暗《くら》くなつた灯《ひ》の影《かげ》に、透《す》かして蚊帳《かや》の裡《うち》を覗《のぞ》いた。
 醫學生《いがくせい》は肌脱《はだぬぎ》で、うつむけに寢《ね》て、踏返《ふみかへ》した夜具《やぐ》の上《うへ》へ、兩足《りやうあし》を投懸《なげか》けて眠《ねむ》つて居《ゐ》る。
 ト枕《まくら》を並《なら》べ、仰向《あをむけ》になり、胸《むね》の上《うへ》に片手《かたて》を力《ちから》なく、片手《かたて》を投出《なげだ》し、足《あし》をのばして、口《くち》を結《むす》んだ顏《かほ》は、灯《ひ》の片影《かたかげ》になつて、一人《ひとり》すや/\と寢《ね》て居《ゐ》るのを、……一目《ひとめ》見《み》ると、其《それ》は自分《じぶん》であつたので、天窓《あたま》から氷《こほり》を浴《あ》びたやうに筋《すぢ》がしまつた。
 ひたと冷《つめた》い汗《あせ》になつて、眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》き、殺《ころ》されるのであらうと思《おも》ひながら、すかして蚊帳《かや》の外《そと》を見《み》たが、墓原《はかはら》をさまよつて、亂橋《みだればし》から由井《ゆゐ》ヶ濱《はま》をうろついて死《し》にさうになつて歸《かへ》つて來《き》た自分《じぶん》の姿《すがた》は、立《た》つて、蚊帳《かや》に縋《すが》つては居《ゐ》なかつた。
 もののけはひを、夜毎《よごと》の心持《こゝろもち》で考《かんが》へると、まだ三|時《じ》には間《ま》があつたので、最《も》う最《も》うあたまがおもいから、其《その》まゝ默《だま》つて、母上《はゝうへ》の御名《おんな》を念《ねん》じた。――人《ひと》は恁《か》ういふことから氣《き》が違《ちが》ふのであらう。



底本:「鏡花全集 巻四」岩波書店
   1941(昭和16)年3月15日第1刷発行
   1986(昭和61)年12月3日第3刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:鈴木厚司
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング