》の儀《ぎ》にあらず、實際《じつさい》の筍《たけのこ》なり。百々女木町《どゞめきまち》も字《じ》に似《に》ず音《おん》強《つよ》し。
買物《かひもの》にゆきて買《か》ふ方《はう》が、(こんね)で、店《みせ》の返事《へんじ》が(やあ/\。)歸《かへ》る時《とき》、買《か》つた方《はう》で、有《あり》がたう存《ぞん》じます、は君子《くんし》なり。――ほめるのかい――いゝえ。
地震《ぢしん》めつたになし。しかし、其《そ》のぐら/\と來《く》る時《とき》は、家々《いへ/\》に老若《らうにやく》男女《なんによ》、聲《こゑ》を立《た》てて、世《よ》なほし、世《よ》なほし、世《よ》なほしと唱《とな》ふ。何《なん》とも陰氣《いんき》にて薄氣味《うすきみ》惡《わる》し。雷《かみなり》の時《とき》、雷《かみなり》山《やま》へ行《ゆ》け、地震《ぢしん》は海《うみ》へ行《ゆ》けと唱《とな》ふ、たゞし地震《ぢしん》の時《とき》には唱《とな》へず。
火事《くわじ》をみて、火事《くわじ》のことを、あゝ火事《くわじ》が行《ゆ》く、火事《くわじ》が行《ゆ》く、と叫《さけ》ぶなり。彌次馬《やじうま》が駈《か》けながら、互《たがひ》に聲《こゑ》を合《あ》はせて、左《ひだり》、左《ひだり》、左《ひだり》、左《ひだり》。
夏《なつ》のはじめに、よく蝦蟆賣《がまう》りの聲《こゑ》を聞《き》く。蝦蟆《がま》や、蝦蟆《がんま》い、と呼《よ》ぶ。又《また》此《こ》の蝦蟆賣《がまう》りに限《かぎ》りて、十二三、四五|位《ぐらゐ》なのが、きまつて二人連《ふたりづ》れにて歩《ある》くなり。よつて怪《け》しからぬ二人連《ふたりづ》れを、畜生《ちくしやう》、蝦蟆賣《がまうり》め、と言《い》ふ。たゞし蝦蟆《がま》は赤蛙《あかがへる》なり。蝦蟆《がま》や、蝦蟆《がんま》い。――そのあとから山男《やまをとこ》のやうな小父《をぢ》さんが、柳《やなぎ》の蟲《むし》は要《い》らんかあ、柳《やなぎ》の蟲《むし》は要《い》らんかあ。
鯖《さば》を、鯖《さば》や三番叟《さんばそう》、とすてきに威勢《ゐせい》よく賣《う》る、おや/\、初鰹《はつがつを》の勢《いきほひ》だよ。鰯《いわし》は五月《ごぐわつ》を季《しゆん》とす。さし網鰯《あみいわし》とて、砂《すな》のまゝ、笊《ざる》、盤臺《はんだい》にころがる。嘘《うそ》にあらず、鯖《さば
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