乾きゆくを、怨めしげに瞻りぬ。
「さ、おくれよ。いゝのを、いゝのを。」
と貴女は急込《せきこ》みてうながしたり。
こたびは鋸を下に置きて、筵《むしろ》の中に残りたる雪の塊を、其まゝ引出して、両手に載せつ。
「み、みんなあげよう。」
細りたる声に力を籠めて突出すに、一掴みの風冷たく、水気むら/\と立ちのぼる。
流るゝ如き瞳動きて、雪と少年の面を、貴女は屹《きつ》とみつめしが、
「あら、こんなぢや、いけないツていふのに。」
といまは苛《いら》てる状《さま》にて、はたとばかり掻退《かいの》けたる、雪は辷《すべ》り落ちて、三ツ四ツに砕けたるを、少年のあなやと拾《ひろ》ひて、拳を固めて掴むと見えし、血の色颯と頬を染めて、右手《めて》に貴女の手を扼《とりしば》り、ものをも言はで引立てつ。
「あれ、あれ、あれえ!」
と貴女は引かれて倒れかゝりぬ。
風一陣、さら/\と木の葉を渡れり。
三
腰元のあれよと見るに、貴女の裾、袂、はら/\と、柳の糸を絞るかのやう、細腰を捩りてよろめきつゝ、ふたゝび悲しき声たてられしに、つと駈寄りて押隔て、
「えゝ! 失礼な、これ、これ、御身分を知らないか。」
貴女はいき苦しき声の下に、
「いゝから、いゝから。」
「御前《ごぜん》――」
「いゝから好きにさせておやり。さ、行かう。」
と胸を圧して、馴れぬ足に、煩はしかりけむ、穿物を脱ぎ棄《す》てつ。
引かれて、やがて蔭ある処、小川流れて一本の桐の青葉茂り、紫陽花の花、流にのぞみて、破垣《やれがき》の内外に今を盛りなる空地の此方に来りし時、少年は立停りぬ。貴女はほと息つきたり。
少年はためらふ色なく、流に俯して、掴み来れる件の雪の、炭の粉に黒くなれるを、その流れに浸して洗ひつ。
掌にのせてぞ透し見たる。雫ひた/\と滴りて、時の間に消え失する雪は、はや豆粒のやゝ大なるばかりとなりしが、水晶の如く透きとほりて、一点の汚もあらずなれり。
きつと見て、
「これでいゝかえ。」といふ声ふるへぬ。
貴女は蒼《あお》く成りたり。
後馳《おくれば》せに追続ける腰元の、一目見るより色を変えて、横様にしつかと抱く。其の膝に倒れかゝりつ、片手をひしと胸にあてて。
「あ。」とくひしばりて、苦しげに空をあふげる、唇の色青く、鉄漿《かね》つけたる前歯動き、地に手をつきて、草に縋《すが》れる真白き指のさきわなゝきぬ。
はツとばかり胸をうちて瞻《みまも》るひまに衰へゆく。
「御前様――御前様。」
腰元は泣声たてぬ。
「しづかに。」
幽《かすか》なる声をかけて、
「堪忍《かんにん》おし、坊や、坊や。」とのみ、言ふ声も絶え入りぬ。
呆れし少年の縋り着きて、いまは雫ばかりなる氷を其口に齎《もたら》しつ。腰元|腕《かいな》をゆるめたれば、貴女の顔のけざまに、うつとりと目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85、28−8]《みひら》き、胸をおしたる手を放ちて、少年の肩を抱きつゝ、ぢつと見てうなづくはしに、がつくりと咽喉に通りて、桐の葉越の日影薄く、紫陽花の色、淋しき其笑顔にうつりぬ。
底本:「花の名随筆6 六月の花」作品社
1999(平成11)年5月10日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二巻」岩波書店
1942(昭和17)年9月
入力:門田裕志
校正:林 幸雄
2002年4月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング