って、虫の数ほど花片《はなびら》も露もこぼさぬ俺たちだ。このたびの不思議なその大輪の虹の台《うてな》、紅玉の蕊《しべ》に咲いた花にも、俺たちが、何と、手を着けるか。雛芥子《ひなげし》が散って実になるまで、風が誘うを視《なが》めているのだ。色には、恋には、情《なさけ》には、その咲く花の二人を除《の》けて、他の人間はたいがい風だ。中にも、ぬしというものはな、主人《あるじ》というものはな、淵《ふち》に棲《す》むぬし、峰にすむ主人《あるじ》と同じで、これが暴風雨《あらし》よ、旋風《つむじかぜ》だ。一溜《ひとたま》りもなく吹散らす。ああ、無慙《むざん》な。
一の烏 と云ふ嘴《くちばし》を、こつこつ鳴らいて、内々その吹き散るのを待つのは誰だ。
二の烏 ははははは、俺達だ、ははははは。まず口だけは体《てい》の可《い》い事を言うて、その実はお互に餌食《えじき》を待つのだ。また、この花は、紅玉の蕊《しべ》から虹に咲いたものだが、散る時は、肉になり、血になり、五色《ごしき》の腸《はらわた》となる。やがて見ろ、脂の乗った鮟鱇《あんこう》のひも、という珍味を、つるりだ。
三の烏 いつの事だ、ああ、聞いただけでも堪《たま》らぬわ。(ばたばたと羽を煽《あお》つ。)
二の烏 急ぐな、どっち道俺たちのものだ。餌食がその柔かな白々とした手足を解いて、木の根の塗膳《ぬりぜん》、錦手《にしきで》の木《こ》の葉の小皿盛となるまでは、精々、咲いた花の首尾を守護して、夢中に躍跳ねるまで、楽《たのし》ませておかねばならん。網で捕《と》ったと、釣ったとでは、鯛《たい》の味が違うと言わぬか。あれ等を苦《くるし》ませてはならぬ、悲《かなし》ませてはならぬ、海の水を酒にして泳がせろ。
一の烏 むむ、そこで、椅子《いす》やら、卓子《テェブル》やら、天幕《テント》の上げさげまで手伝うかい。
三の烏 あれほどのものを、(天幕を指す)持運びから、始末まで、俺たちが、この黒い翼で人間の目から蔽《おお》うて手伝うとは悟り得ず、薄《すすき》の中に隠したつもりの、彼奴等《あいつら》の甘さが堪《たま》らん。が、俺たちの為《な》す処は、退いて見ると、如法《にょほう》これ下女下男の所為《しょい》だ。天《あめ》が下に何と烏ともあろうものが、大分権式を落すわけだな。
二の烏 獅子《しし》、虎《とら》、豹《ひょう》、地を走る獣。空を飛ぶ仲間では、
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