。手前が何しますにつけて、これもまた、学校に縁遠《えんどお》い方だったものでえすから、暑さ寒さの御見舞だけと申すのが、書けないものには、飛んだどうも、実印《じついん》を捺《お》しますより、事も大層になります処《ところ》から、何とも申訳《もうしわけ》がございやせん。
何しろ、まあ、御緩《ごゆる》りなすって、いずれ今晩は手前どもへ御一泊下さいましょうで。」
と膝をすっと手先で撫《な》でて、取澄《とりす》ました風をしたのは、それに極《きま》った、という体《てい》を、仕方で見せたものである。
「串戯《じょうだん》じゃない。」と余りその見透《みえす》いた世辞の苦々《にがにが》しさに、織次は我知らず打棄《うっちゃ》るように言った。些《ち》とその言《ことば》が激しかったか、
「え。」と、聞直《ききなお》すようにしたが、忽《たちま》ち唇の薄笑《うすわらい》。
「ははあ、御同伴《おつれ》の奥さんがお待兼《まちか》ねで。」
「串戯じゃない。」
と今度は穏《おだや》かに微笑《ほほえ》んで、
「そんなものがあるものかね。」
「そんなものとは?」
「貴下《あなた》、まだ奥様《おくさん》はお持ちなさりませんの。」
と女房、胸を前へ、手を畳にす。
織次は巻莨《まきたばこ》を、ぐいと、さし捨てて、
「持つもんですか。」
「織さん。」
と平吉は薄く刈揃《かりそろ》えた頭を掉《ふ》って、目を据《す》えた。
「まだ、貴下《あなた》、そんな事を言っていますね。持つものか! なんて貴下《あなた》、一生持たないでどうなさる。……また、こりゃお亡くなんなすった父様《おとっさん》に代《かわ》って、一説法《ひとせっぽう》せにゃならん。例の晩酌《ばんしゃく》の時と言うとはじまって、貴下《あなた》が殊《こと》の外《ほか》弱らせられたね。あれを一つ遣《や》りやしょう。」
と片手で小膝をポンと敲《たた》き、
「飲みながらが可《い》い、召飯《めしあが》りながら聴聞《ちょうもん》をなさい。これえ、何を、お銚子《ちょうし》を早く。」
「唯《はい》、もう燗《つ》けてござりえす。」と女房が腰を浮かす、その裾端折《すそはしょり》で。
織次は、酔った勢《いきおい》で、とも思う事があったので、黙っていた。
「ぬたをの……今、私《わっし》が擂鉢《すりばち》に拵《こしら》えて置いた、あれを、鉢に入れて、小皿を二つ、可《い》い
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