行《ゆ》こう。」
何処へでも勝手に行くが可《よし》、また何処へも行かないでも可《い》い。このまま、今度の帰省中|転《ころ》がってる従姉《いとこ》の家《うち》へ帰っても可《い》いが、其処《そこ》は今しがた出て来たばかり。すぐに取って返せば、忘れ物でもしたように思うであろう。……先祖代々の墓詣《はかまいり》は昨日《きのう》済ますし、久しぶりで見たかった公園もその帰りに廻る。約束の会は明日《あした》だし、好《すき》なものは晩に食べさせる、と従姉《いとこ》が言った。差当《さしあた》り何の用もない。何年にも幾日《いくか》にも、こんな暢気《のんき》な事は覚えぬ。おんぶするならしてくれ、で、些《ち》と他愛《たわい》がないほど、のびのびとした心地《ここち》。
気候は、と言うと、ほかほかが通り越した、これで赫《かっ》と日が当ると、日中は早《はや》じりじりと来そうな頃が、近山曇《ちかやまぐも》りに薄《うっす》りと雲が懸って、真綿《まわた》を日光に干《ほ》すような、ふっくりと軽い暖かさ。午頃《ひるごろ》の蔭もささぬ柳の葉に、ふわふわと柔《やわらか》い風が懸る。……その柳の下を、駈けて通る腕車《くるま》も見えず、人通りはちらほらと、都で言えば朧夜《おぼろよ》を浮れ出したような状《さま》だけれども、この土地ではこれでも賑《にぎやか》な町の分《ぶん》。城趾《しろあと》のあたり中空《なかぞら》で鳶《とび》が鳴く、と丁《ちょう》ど今が春《しゅん》の鰯《いわし》を焼く匂《におい》がする。
飯を食べに行っても可《よし》、ちょいと珈琲《コオヒイ》に菓子でも可《よし》、何処《どこ》か茶店で茶を飲むでも可《よし》、別にそれにも及ばぬ。が、袷《あわせ》に羽織で身は軽し、駒下駄《こまげた》は新しし、為替は取ったし、ままよ、若干金《なにがし》か貸しても可《い》い。
「いや、串戯《じょうだん》は止《よ》して……」
そうだ! 小北《おぎた》の許《とこ》へ行《ゆ》かねばならぬ――と思うと、のびのびした手足が、きりきりと緊《しま》って、身体《からだ》が帽子まで堅くなった。
何故《なぜ》か四辺《あたり》が視《なが》められる。
こう、小北と姓を言うと、学生で、故郷の旧友のようであるが、そうでない。これは平吉《へいきち》……平《へい》さんと言うが早解《はやわか》り。織次の亡き親父と同じ夥間《なかま》の職人である。
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