るほどの事もないんだけれど、子供ッて妙なもので、まわりに田があるから、ああ八田だ、それにしても八ツはない。……そんなことを独り合点した事も思出しておかしいし、余り様子が変っているので、心細いようにもなって、ついうっかりして――活動写真の小屋が出来た……がらんとしている、不景気だな、とぎょっとして、何、昼間は休みなのだろう、にしておいたよ。そういえば煙突も真正面で、かえって、あんなに高く見えなかったもんだから、明《あかり》取りかと思ったっけ。……映画の明取りはちと変だね。どうかしている。」
と笑いながら、
「そうかい、温泉かい……こんな処に。」
「沸《わか》すんですよ……ただの水を。」
「ただの水はよかった、成程。」
「でも、温泉といった方が景気がいいからですわ。そしてね、おじさん、いまの、あれ、狢《むじな》の湯っていうんですよ。」
「狢の湯?……」
と同伴《つれ》の顔を見た時は、もうその市場の裡《なか》を半ば過ぎていた。まだ新しく、ほんの仮設らしい、通抜けで、ただ両側に店が並んだが、二三個処うつろに穴があいて、なぜか箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》の一つ足りないような気がする。今来た入口《はいりぐち》に、下駄屋と駄菓子屋が向合って、駄菓子屋に、ふかし芋と、茹《ゆ》でた豌豆《えんどう》を売るのも、下駄屋の前ならびに、子供の履《はき》ものの目立って紅《あか》いのも、もの侘《わび》しい。蒟蒻《こんにゃく》の桶《おけ》に、鮒《ふな》のバケツが並び、鰌《どじょう》の笊《ざる》に、天秤を立掛けたままの魚屋の裏羽目からは、あなめあなめ空地の尾花が覗《のぞ》いている……といった形。
――あとで地の理をよく思うと、ここが昔の蓮池の口もとだったのだそうである。――
「皆その御眷属《ごけんぞく》が売っているようだ。」
「何? おじさん。」
「いえね、その狢の湯の。」
「あら聞こえると悪ござんすわ。」
とたしなめる目づかいが、つい横の酒類販売店の壜《びん》に、瞳が蝶のようにちらりと映って、レッテルの桜に白い頬がほんのりする。
「決して悪く云ったのじゃない。……これで地口行燈《じぐちあんどん》が五つ六つあってごらん。――横露地の初午《はつうま》じゃないか。お祭のようだと祝ったんだよ。」
「そんな事……お祭だなんのといって、一口飲みたくなったんじゃあ、ありません? おっかさん(外套氏の
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