、また五つばかり銅《あかがね》の角鍋が並んで、中に液体だけは湛《たた》えたのに、青桐《あおぎり》の葉が枯れつつ映っていた。月も十五に影を宿すであろう。出ようとすると、向うの端から、ちらちらと点《つ》いて、次第に竈《かまど》に火が廻った。電気か、瓦斯《がす》を使うのか、ほとんど五彩である。ぱッと燃えはじめた。
この火が、一度に廻ると、カアテンを下ろしたように、窓が黒くなって、おかしな事には、立っている土間にひだを打って、皺《しわ》が出来て、濡色に光沢《つや》が出た。
お町が、しっかりと手を取った。
背後《うしろ》から、
「失礼ですが、貴方《あなた》……」
前刻《さっき》の蓮根市《はすいち》の影法師が、旅装で、白皙《はくせき》の紳士になり、且つ指環《ゆびわ》を、竈《かまど》の火に彩られて顕《あら》われた。
「おお、これは。」
名古屋に時めく大資産家の婿君で、某学校の教授と、人の知る……すなわち、以前、この蓮池邸《はすいけやしき》の坊ちゃんであった。
「見覚えがおありでしょう。」
と斜《ななめ》に向って、お町にいった。
「まあ。」
時めく婿は、帽子《ソフト》を手にして、
「後刻、お伺いする処でした。」
驚破す、再び、うぐい亭の当夜の嫖客《ひょうかく》は――渠《かれ》であった。
三人のめぐりあい。しかし結末にはならない。おなじ廓《くるわ》へ、第一歩、三人のつまさきが六つ入交《いれまじ》った時である。
落葉のそよぐほどの、跫音《あしおと》もなしに、曲尺《かねじゃく》の角を、この工場から住居《すまい》へ続くらしい、細長い、暗い土間から、白髪《しらが》がすくすくと生えた、八十を越えよう、目口も褐漆《かっしつ》に干からびた、脊の低い、小さな媼《ばあ》さんが、継はぎの厚い布子《ぬのこ》で、腰を屈《かが》めて出て来た。
蒼白《まっさお》になって、お町があとへ引いた。
「お姥《ばあ》さん、見物をしていますよ。」
と鷹揚《おうよう》に、先代の邸主は落《おち》ついて言った。
何と、媼《ばば》は頤《あご》をしゃくって、指二つで、目を弾《はじ》いて、じろりと見上げたではないか。
「無断で、いけませんでしたかね。」
外套氏は、やや妖変《ようへん》を感じながら、丁寧に云ったのである。
「どうなとせ。」
唾《つば》と泡が噛合《かみあ》うように、ぶつぶつと一言《ひとこと》い
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