。月には翡翠《ひすい》の滝の糸、雪には玉の簾《すだれ》を聯《つら》ねよう。
 それと、戸前《かどさき》が松原で、抽《ぬきん》でた古木もないが、ほどよく、暗くなく、あからさまならず、しっとりと、松葉を敷いて、松毬《まつかさ》まじりに掻《か》き分けた路も、根を畝《うね》って、奥が深い。いつも松露の香がたつようで、実際、初茸《はつたけ》、しめじ茸は、この落葉に生えるのである。入口に萩の枝折戸《しおりど》、屋根なしに網代《あじろ》の扉《と》がついている。また松の樹を五《いつ》株、六《む》株。すぐに石ころ道が白く続いて、飛地のような町屋の石を置いた板屋根が、山裾に沈んで見えると、そこにその橋がある。
 蝙蝠《こうもり》に浮かれたり、蛍《ほたる》を追ったり、その昔子供等は、橋まで来るが、夜は、うぐい亭の川岸は通り得なかった。外套氏のいう処では、道の途中ぐらい、麓《ふもと》の出張った低い磧《かわら》の岸に、むしろがこいの掘立小屋《ほったてごや》が三つばかり簗《やな》の崩れたようなのがあって、古俳句の――短夜《みじかよ》や(何とかして)川手水《かわちょうず》――がそっくり想出された。そこが、野三昧《のざんまい》の跡とも、山窩《さんか》が甘い水を慕って出て来るともいう。人の灰やら、犬の骨やら、いずれ不気味なその部落を隔てた処に、幽《かすか》にその松原が黒く乱れて梟《ふくろ》が鳴いているお茶屋だった。――※[#「魚+成」、第3水準1−94−43]《うぐい》、鮠《はや》、鮴《ごり》の類は格別、亭で名物にする一尺の岩魚《いわな》は、娘だか、妻女だか、艶色《えんしょく》に懸相《けそう》して、獺《かわおそ》が件《くだん》の柳の根に、鰭《ひれ》ある錦木《にしきぎ》にするのだと風説《うわさ》した。いささか、あやかしがついていて、一層寂れた。鵜《う》の啣《くわ》えた鮎《あゆ》は、殺生ながら賞翫《しょうがん》しても、獺の抱えた岩魚は、色恋といえども気味が悪かったものらしい。
 今は、自動車さえ往来《ゆきき》をするようになって、松蔭の枝折戸まで、つきの女中が、柳なんぞの縞《しま》お召、人懐《ひとなつっこ》く送って出て、しとやかな、情のある見送りをする。ちょうど、容子《ようす》のいい中年増が給仕に当って、確《たしか》に外套氏がこれは体験した処である。ついでに岩魚の事を言おう。瀬波に翻《ひるが》える状《さま
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