る。
「町子嬢、町子嬢。」
「は。」
と頸《えり》の白さを、滑《なめら》かに、長く、傾いてちょっと嬌態《しな》を行《や》る。
「気取ったな。」
「はあ。」
「一体こりゃどういう事になるんだい。」
「慈姑《くわい》の田楽、ほほほ。」
と、簪《かんざし》の珊瑚と、唇が、霞の中に、慈姑とは別に二つ動いて、
「おじさんは、小児《こども》の時、お寺へ小僧さんにやられる処だったんだって……何も悪たれ坊ッてわけじゃない、賢くって、おとなしかったから。――そうすりゃきっと名僧知識になれたんだ。――お母《っか》さんがそういって話すんだわ。」
「悪かったよ。その方がよかったんだよ。相済まなかったよ。」
今度は、がばがばと手酌で注《つ》ぐ。
「ほほほほ、そのせいだか、精進男で、慈姑の焼いたのが大好きで、よく内へ来て頬張ったんだって……お母さんたら。」
「ああ、情《なさけ》ない。慈姑とは何事です。おなじ発心をしたにしても、これが鰌《どじょう》だと引導を渡す処だが、これじゃ、お念仏を唱えるばかりだ。――ああ、お町ちゃん。」
わざとした歎息を、陽気に、ふッと吹いて、
「……そういえば、一昨日《おととい》の晩……途中で泊った、鹿落《かおち》の温泉でね。」
「ええ。」
「実際、お念仏を唱えたよ、真夜半《まよなか》さ。」
「夜半《よなか》。」
と七輪の上で、火の気に賑《にぎや》かな頬が肅然《じっ》と沈んだ。
「……何、考えて見れば、くだらない事なんだが、鹿落は寂しい処だよ。そこを狙ったわけでもないが、来がけに一晩保養をしたがね。真北の海に向って山の中腹にあるんだから、長い板廊下を九十九折《つづらおり》とった形に通るんだ。――知っているかも知れないが。――座敷は三階だったけれど、下からは四階ぐらいに当るだろう。晩飯の烏賊《いか》と蝦《えび》は結構だったし、赤蜻蛉《あかとんぼ》に海の夕霧で、景色もよかったが、もう時節で、しんしんと夜の寒さが身に沁《し》みる。あすこいら一帯に、袖のない夜具だから、四布《よの》の綿の厚いのがごつごつ重《おもた》くって、肩がぞくぞくする。枕許《まくらもと》へ熱燗《あつかん》を貰って、硝子盃酒《コップざけ》の勢《いきおい》で、それでもぐっすり疲れて寝た。さあ何時頃だったろう。何しろ真夜半だ。厠《かわや》へ行《ゆ》くのに、裏階子《うらばしご》を下りると、これが、頑丈な事
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