こうもりがさ》で立ってるところは、憚《はばか》りながらこれ人間の女だ。しかも女の新造《しんぞ》だ。女の新造に違いはないが、今拝んだのと較《くら》べて、どうだい。まるでもって、くすぶって、なんといっていいか汚《よご》れ切っていらあ。あれでもおんなじ女だっさ、へん、聞いて呆《あき》れらい」
「おやおや、どうした大変なことを謂い出したぜ。しかし全くだよ。私もさ、今まではこう、ちょいとした女を見ると、ついそのなんだ。いっしょに歩くおまえにも、ずいぶん迷惑を懸けたっけが、今のを見てからもうもう胸がすっきりした。なんだかせいせいとする、以来女はふっつりだ」
「それじゃあ生涯《しょうがい》ありつけまいぜ。源吉とやら、みずからは、とあの姫様《ひいさま》が、言いそうもないからね」
「罰があたらあ、あてこともない」
「でも、あなたやあ、ときたらどうする」
「正直なところ、わっしは遁《に》げるよ」
「足下《そこ》もか」
「え、君は」
「私も遁げるよ」と目を合わせつ。しばらく言《ことば》途絶えたり。
「高峰、ちっと歩こうか」
予は高峰とともに立ち上がりて、遠くかの壮佼《わかもの》を離れしとき、高峰はさも感じたる面色《おももち》にて、
「ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ、君はお手のものだ、勉強したまえ」
予は画師たるがゆえに動かされぬ。行くこと数《す》百歩、あの樟《くす》の大樹の鬱蓊《うつおう》たる木《こ》の下蔭《したかげ》の、やや薄暗きあたりを行く藤色の衣《きぬ》の端を遠くよりちらとぞ見たる。
園を出《い》ずれば丈《たけ》高く肥えたる馬二頭立ちて、磨《す》りガラス入りたる馬車に、三個《みたり》の馬丁《べっとう》休らいたりき。その後九年を経て病院のかのことありしまで、高峰はかの婦人のことにつきて、予にすら一言《こと》をも語らざりしかど、年齢においても、地位においても、高峰は室あらざるべからざる身なるにもかかわらず、家を納むる夫人なく、しかも渠は学生たりし時代より品行いっそう謹厳にてありしなり。予は多くを謂わざるべし。
青山の墓地と、谷中《やなか》の墓地と所こそは変わりたれ、同一《おなじ》日に前後して相|逝《ゆ》けり。
語を寄す、天下の宗教家、渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。
底本:「高野聖」角川文庫、角川書店
1971(昭和46)年4月20日改版初版発行
1979(昭和54)年11月30日改版第14刷発行
入力:今中一時
校正:浜野 智
2005年9月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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