だね。たとえばさ、真のおじきにした処で、いやしくも男の前だ。あれでは跨いだんじゃない、飛んだんだ。いや、足を宙に上げたんだ。――」
「知らない、おじさん。」
「もっとも、一所に道を歩行《ある》いていて、左とか右とか、私と説が違って、さて自分が勝つと――銀座の人込の中で、どうです、それ見たか、と白い……」
「多謝《サンキュウ》。」
「逞《たくま》しい。」
「取消し。」
「腕を、拳固がまえの握拳《にぎりこぶし》で、二の腕の見えるまで、ぬっと象の鼻のように私の目のさきへ突出《つきだ》した事があるんだからね。」
「まだ、踊っているようだわね、話がさ。」
「私も、おばさん、いきなり踊出したのは、やっぱり私のように思われてならないのよ。」
「いや、ものに誘われて、何でも、これは、言合わせたように、前後甲乙、さっぱりと三人|同時《いっとき》だ。」
「可厭《いや》ねえ、気味の悪い。」
「ね、おばさん、日の暮方に、お酒の前。……ここから門のすぐ向うの茄子畠《なすばたけ》を見ていたら、影法師のような小さなお媼《ばあ》さんが、杖に縋《すが》ってどこからか出て来て、畑の真中《まんなか》へぼんやり立って、その杖で、何だか九字でも切るような様子をしたじゃアありませんか。思出すわ。……鋤鍬《すきくわ》じゃなかったんですもの。あの、持ってたもの撞木《しゅもく》じゃありません? 悚然《ぞっ》とする。あれが魔法で、私たちは、誘い込まれたんじゃないんでしょうかね。」
「大丈夫、いなかでは遣る事さ。ものなりのいいように、生《な》れ生れ茄子《なす》のまじないだよ。」
「でも、畑のまた下道には、古い穀倉《こくぐら》があるし、狐か、狸か。」
「そんな事は決してない。考えているうちに、私にはよく分った。雨続きだし、石段が辷《すべ》るだの、お前さんたち、蛇が可恐《こわ》いのといって、失礼した。――今夜も心ばかりお鳥居の下まで行った――毎朝|拍手《かしわで》は打つが、まだお山へ上らぬ。あの高い森の上に、千木《ちぎ》のお屋根が拝される……ここの鎮守様の思召しに相違ない。――五月雨《さみだれ》の徒然《つれづれ》に、踊を見よう。――さあ、その気で、更《あらた》めて、ここで真面目《まじめ》に踊り直そう。神様にお目にかけるほどの本芸は、お互にうぬぼれぬ。杓子舞、擂粉木舞だ。二人は、わざとそれをお持ち、真面目だよ、さ、さ、さ。可いかい。」
笛吹は、こまかい薩摩《さつま》の紺絣《こんがすり》の単衣《ひとえ》に、かりものの扱帯《しごき》をしめていたのが、博多《はかた》を取って、きちんと貝の口にしめ直し、横縁の障子を開いて、御社《おやしろ》に。――一座|退《しさ》って、女二人も、慎み深く、手をつかえて、ぬかずいた。
栗鼠《りす》が仰向《あおむ》けにひっくりかえった。
あの、チン、カラ、カラカラカラカラ、笛吹の手の雀は雀、杓子は、しゃ、しゃ、杓子と、す、す、す、擂粉木を、さしたり、引いたり、廻り踊る。ま、ま、真顔を見さいな。笑わずにいられるか。
泡を吐き、舌を噛《か》み、ぶつぶつ小じれに焦《じ》れていた、赤沼の三郎が、うっかりしたように、思わず、にやりとした。
姫は、赤地錦の帯脇に、おなじ袋の緒をしめて、守刀《まもりがたな》と見参らせたは、あらず、一管の玉の笛を、すっとぬいて、丹花の唇、斜めに氷柱《つらら》を含んで、涼しく、気高く、歌口を――
木菟《みみずく》が、ぽう、と鳴く。
社の格子が颯《さっ》と開くと、白兎が一羽、太鼓を、抱くようにして、腹をゆすって笑いながら、撥音《ばちおと》を低く、かすめて打った。
河童の片手が、ひょいと上って、また、ひょいと上って、ひょこひょこと足で拍子を取る。
見返りたまい、
「三人を堪忍してやりゃ。」
「あ、あ、あ、姫君。踊って喧嘩はなりませぬ。うう、うふふ、蛇も踊るや。――藪《やぶ》の穴から狐も覗《のぞ》いて――あはは、石投魚《いしなげ》も、ぬさりと立った。」
わっと、けたたましく絶叫して、石段の麓《ふもと》を、右往左往に、人数は五六十、飛んだろう。
赤沼の三郎は、手をついた――もうこうまいる、姫神様。……
「愛想《あいそ》のなさよ。撫子《なでしこ》も、百合も、あるけれど、活きた花を手折ろうより、この一折持っていきゃ。」
取らしょうと、笛の御手《みて》に持添えて、濃い紫の女扇を、袖すれにこそたまわりけれ。
片手なぞ、今は何するものぞ。
「おんたまものの光は身に添い、案山子《かかし》のつづれも錦《にしき》の直垂《ひたたれ》。」
翁が傍《かたわら》に、手を挙げた。
「石段に及ばぬ、飛んでござれ。」
「はあ、いまさらにお恥かしい。大海|蒼溟《そうめい》に館《やかた》を造る、跋難侘《ばつなんだ》竜王、娑伽羅《しゃがら》竜王、摩那斯《まなし》竜
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