卓《ちゃぶだい》に乗ったって、何も気味の悪いことはないよ。」
「気味の悪いことはないったって、一体変ね、帰る途《みち》でも言ったけれど、行がけに先刻《さっき》、宿を出ると、いきなり踊出したのは誰なんでしょう。」
「そりゃ、私だろう。掛引のない処。お前にも話した事があるほどだし、その時の祭の踊を実地に見たのは、私だから。」
「ですが、こればかりはお前さんのせいともいえませんわ。……話を聞いていますだけに、何だか私だったかも知れない気がする。」
「あら、おばさん、私のようよ、いきなりひとりでに、すっと手の上ったのは。」
「まさか、巻込まれたのなら知らないこと――お婿さんをとるのに、間違ったら、高島田に結《い》おうという娘の癖に。」
「おじさん、ひどい、間違ったら高島田じゃありません、やむを得ず洋髪《ハイカラ》なのよ。」
「おとなしくふっくりしている癖に、時々ああいう口を利くんですからね。――吃驚《びっくり》させられる事があるんです。――いつかも修善寺の温泉宿《ゆやど》で、あすこに廊下の橋がかりに川水を引入れた流《ながれ》の瀬があるでしょう。巌組《いわぐみ》にこしらえた、小さな滝が落ちるのを、池の鯉が揃って、競って昇るんですわね。水をすらすらと上るのは割合やさしいようですけれど、流れが煽《あお》って、こう、颯《さっ》とせく、落口の巌角《いわかど》を刎《は》ね越すのは苦艱《くげん》らしい……しばらく見ていると、だんだんにみんな上った、一つ残ったのが、ああもう少し、もう一息という処で滝壺へ返って落ちるんです。そこよ、しっかりッてこの娘《ひと》――口へ出したうちはまだしも、しまいには目を据えて、熟《じっ》と視《み》たと思うと、湯上りの浴衣のままで、あの高々と取った欄干を、あッという間もなく、跣足《はだし》で、跣足で跨《また》いで――お帳場でそういいましたよ。随分おてんばさんで、二階の屋根づたいに隣の間へ、ばア――それよりか瓦《かわら》の廂《ひさし》から、藤棚越しに下座敷を覗《のぞ》いた娘さんもあるけれど、あの欄干を跨いだのは、いつの昔、開業以来、はじめてですって。……この娘《ひと》。……御当人、それで巌飛びに飛移って、その鯉をいきなりつかむと、滝の上へ泳がせたじゃありませんか。」
「説明に及ばず。私も一所に見ていたよ。吃驚《びっくり》した。時々放れ業をやる。それだから、縁遠いん
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