のではない。捻《ひね》り廻して鬱《ふさ》いだ顔色《がんしょく》は、愍然《ふびん》や、河童のぬめりで腐って、ポカンと穴があいたらしい。まだ宵だというに、番頭のそうした処は、旅館の閑散をも表示する……背後《うしろ》に雑木山を控えた、鍵の手|形《なり》の総二階に、あかりの点《つ》いたのは、三人の客が、出掛けに障子を閉めた、その角座敷ばかりである。
 下廊下を、元気よく玄関へ出ると、女連の手は早い、二人で歩行板《あゆみいた》を衝《つ》と渡って、自分たちで下駄を揃えたから、番頭は吃驚《びっくり》して、長靴を掴《つか》んだなりで、金歯を剥出《むきだ》しに、世辞笑いで、お叩頭《じぎ》をした。
 女中が二人出て送る。その玄関の燈《ともしび》を背に、芝草と、植込の小松の中の敷石を、三人が道なりに少し畝《うね》って伝《つたわ》って、石造《いしづくり》の門にかかげた、石ぼやの門燈に、影を黒く、段を降りて砂道へ出た。が、すぐ町から小半町|引込《ひっこ》んだ坂で、一方は畑になり、一方は宿の囲《かこい》の石垣が長く続くばかりで、人通りもなく、そうして仄暗《ほのくら》い。
 ト、町へたらたら下りの坂道を、つかつかと……わずかに白い門燈を離れたと思うと、どう並んだか、三人の右の片手三本が、ひょいと空へ、揃って、踊り構えの、さす手に上った。同時である。おなじように腰を捻った。下駄が浮くと、引く手が合って、おなじく三本の手が左へ、さっと流れたのがはじまりで、一列なのが、廻って、くるくると巴《ともえ》に附着《くッつ》いて、開いて、くるりと輪に踊る。花やかな娘の笑声が、夜の底に響いて、また、くるりと廻って、手が流れて、褄《つま》が飜《かえ》る。足腰が、水馬《みずすまし》の刎《は》ねるように、ツイツイツイと刎ねるように坂くだりに行《ゆ》く。……いや、それがまた早い。娘の帯の、銀の露の秋草に、円髷の帯の、浅葱《あさぎ》に染めた色絵の蛍が、飛交《とびか》って、茄子畑《なすばたけ》へ綺麗にうつり、すいと消え、ぱっと咲いた。

「酔っとるでしゅ、あの笛吹。女どもも二三杯。」と河童が舌打して言った。
「よい、よい、遠くなり、近くなり、あの破鐘《われがね》を持扱う雑作に及ばぬ。お山の草叢《くさむら》から、黄腹、赤背の山鱗《やまうろこ》どもを、綯交《なえま》ぜに、三筋の処を走らせ、あの踊りの足許へ、茄子畑から、にょっにょ
前へ 次へ
全22ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング