《すそ》から雫が垂れるから、骨を絞る響《ひびき》であろう――傘の古骨が風に軋《きし》むように、啾々と不気味に聞こえる。
「しいッ、」
「やあ、」
しッ、しッ、しッ。
曳声《えいごえ》を揚げて……こっちは陽気だ。手頃な丸太棒《まるたんぼう》を差荷《さしにな》いに、漁夫《りょうし》の、半裸体の、がッしりした壮佼《わかもの》が二人、真中《まんなか》に一尾の大魚を釣るして来た。魚頭を鈎縄《かぎなわ》で、尾はほとんど地摺《じずれ》である。しかも、もりで撃った生々しい裂傷《さききず》の、肉のはぜて、真向《まっこう》、腮《あご》、鰭《ひれ》の下から、たらたらと流るる鮮血《なまち》が、雨路《あまみち》に滴って、草に赤い。
私は話の中のこの魚《うお》を写出すのに、出来ることなら小さな鯨と言いたかった。大鮪《おおまぐろ》か、鮫《さめ》、鱶《ふか》でないと、ちょっとその巨大《おおき》さと凄《すさま》じさが、真に迫らない気がする。――ほかに鮟鱇《あんこう》がある、それだと、ただその腹の膨れたのを観《み》るに過ぎぬ。実は石投魚《いしなぎ》である。大温にして小毒あり、というにつけても、普通、私どもの目に触れる事がないけれども、ここに担いだのは五尺に余った、重量、二十貫に満ちた、逞《たくま》しい人間ほどはあろう。荒海の巌礁《がんしょう》に棲《す》み、鱗《うろこ》鋭く、面顰《つらしか》んで、鰭《はた》が硬い。と見ると鯱《しゃち》に似て、彼が城の天守に金銀を鎧《よろ》った諸侯なるに対して、これは赤合羽《あかがっぱ》を絡《まと》った下郎が、蒼黒《あおぐろ》い魚身を、血に底光りしつつ、ずしずしと揺られていた。
かばかりの大石投魚《おおいしなぎ》の、さて価値《ねうち》といえば、両を出ない。七八十銭に過ぎないことを、あとで聞いてちと鬱《ふさ》いだほどである。が、とにかく、これは問屋、市場へ運ぶのではなく、漁村なるわが町内の晩のお菜《かず》に――荒磯に横づけで、ぐわッぐわッと、自棄《やけ》に煙を吐く艇《ふね》から、手鈎《てかぎ》で崖肋腹《がけあばら》へ引摺上《ひきずりあ》げた中から、そのまま跣足《はだし》で、磯の巌道《いわみち》を踏んで来たのであった。
まだ船底を踏占めるような、重い足取りで、田畝《たんぼ》添いの脛《すね》を左右へ、草摺れに、だぶだぶと大魚《おおうお》を揺《ゆす》って、
「しいッ、」
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