び》くでしゅが。――ただ一雫《ひとしずく》の露となって、逆《さかさ》に落ちて吸わりょうと、蕩然《とろり》とすると、痛い、疼《いた》い、痛い、疼いッ。肩のつけもとを棒切《ぼうぎれ》で、砂越しに突挫《つきくじ》いた。」
「その怪我じゃ。」
「神職様。――塩で釣出せぬ馬蛤《まて》のかわりに、太い洋杖《ステッキ》でかッぽじった、杖は夏帽の奴の持ものでしゅが、下手人は旅籠屋の番頭め、這奴《しゃつ》、女ばらへ、お歯向きに、金歯を見せて不埒《ふらち》を働く。」
「ほ、ほ、そか、そか。――かわいや忰《せがれ》、忰が怨《うらみ》は番頭じゃ。」
「違うでしゅ、翁様。――思わず、きゅうと息を引き、馬蛤の穴を刎飛《はねと》んで、田打蟹《たうちがに》が、ぼろぼろ打つでしゅ、泡ほどの砂の沫《あわ》を被《かぶ》って転がって遁《に》げる時、口惜《くや》しさに、奴の穿《は》いた、奢《おご》った長靴、丹精に磨いた自慢の向脛《むこうずね》へ、この唾《つば》をかッと吐掛けたれば、この一呪詛《ひとのろい》によって、あの、ご秘蔵の長靴は、穴が明いて腐るでしゅから、奴に取っては、リョウマチを煩らうより、きとこたえる。仕返しは沢山でしゅ。――怨《うらみ》の的は、神職様――娘ども、夏帽子、その女房の三人でしゅが。」
「一通りは聞いた、ほ、そか、そか。……無理も道理も、老《おい》の一存にはならぬ事じゃ。いずれはお姫様に申上ぎょうが、こなた道理には外れたようじゃ、無理でのうもなかりそうに思われる、そのしかえし。お聞済みになろうか。むずかしいの。」
「御鎮守の姫様、おきき済みになりませぬと、目の前の仇《かたき》を視《み》ながら仕返しが出来んのでしゅ、出来んのでしゅが、わア、」
とたちまち声を上げて泣いたが、河童はすぐに泣くものか、知らず、駄々子《だだっこ》がものねだりする状《さま》であった。
「忰、忰……まだ早い……泣くな。」
と翁は、白く笑った。
「大慈大悲は仏菩薩《ぶつぼさつ》にこそおわすれ、この年老いた気の弱りに、毎度御意見は申すなれども、姫神、任侠《にんきょう》の御気風ましまし、ともあれ、先んじて、お袖に縋《すが》ったものの願い事を、お聞届けの模様がある。一たび取次いでおましょうぞ――えいとな。……
や、や、や、横扉から、はや、お縁へ。……これは、また、お軽々しい。」
廻廊の縁の角あたり、雲低き柳の帳《と
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