うに魚の腹を握《つか》まねばならない。その腸《わた》を二升瓶に貯える、生葱《なまねぎ》を刻んで捏《こ》ね、七色唐辛子を掻交《かきま》ぜ、掻交ぜ、片襷《かただすき》で練上げた、東海の鯤鯨《こんげい》をも吸寄すべき、恐るべき、どろどろの膏薬《こうやく》の、おはぐろ溝《どぶ》へ、黄袋の唾をしたような異味を、べろりべろり、と嘗《な》めては、ちびりと飲む。塩辛いきれの熟柿《じゅくし》の口で、「なむ、御先祖でえでえ」と茶の間で仏壇を拝むが日課だ。お来さんが、通りがかりに、ツイとお位牌《いはい》をうしろ向けにして行《ゆ》く……とも知らず、とろんこで「御先祖でえでえ。」どろりと寝て、お京や、蹠《あしうら》である。時しも、鬱金《うこん》木綿が薄よごれて、しなびた包、おちへ来て一霜《ひとしも》くらった、大角豆《ささげ》のようなのを嬉しそうに開けて、一粒々々、根附だ、玉だ、緒〆《おじめ》だと、むかしから伝われば、道楽でためた秘蔵の小まものを並べて楽しむ処へ――それ、しも手から、しゃっぽで、袴《はかま》で、代書代言伊作氏が縁台の端へ顕《あら》われるのを見ると、そりゃ、そりゃ矢藤さんがおいでになったと、慌《あわただ》しく鬱金木綿を臍《へそ》でかくす……他なし、書画骨董の大方を、野分のごとく、この長男に吹さらわれて、わずかに痩莢《やせざや》の豆ばかりここに残った所以《ゆえん》である。矢藤は小浜屋の姓である。これで見ると、廓では、人を敬遠する時、我が子を呼ぶに、名を言わず、姓をもってするらしい。……
矢藤老人――ああ、年を取った伊作翁は、小浜屋が流転の前後――もともと世功を積んだ苦労人で、万事じょさいのない処で、将棊《しょうぎ》は素人の二段の腕を持ち、碁は実際初段うてた。それ等がたよりで、隠居仕事の寮番という処を、時流に乗って、丸の内辺の某|倶楽部《くらぶ》を預って暮したが、震災のために、立寄ったその樹の蔭を失って、のちに古女房と二人、京橋三十間堀裏のバラック建《だて》のアパアトの小使、兼番人で佗《わび》しく住んだ。身辺の寒さ寂しさよ。……霜月末の風の夜《よ》や……破蒲団《やぶれぶとん》の置炬燵《おきごたつ》に、歯の抜けた頤《あご》を埋《うず》め、この奥に目あり霞《かす》めり。――徒《いたず》らに鼻が隆《たか》く目の窪《くぼ》んだ処から、まだ娑婆気《しゃばッき》のある頃は、暖簾《のれん》にも
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