うたの続きが糸に紛れた。――

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きりょうも、いろも、雪おんな……
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 ずどんと鳴って、壁が揺れた。雪見を喜ぶ都会人でも、あの屋根を辷《すべ》る、軒しずれの雪の音は、凄《すさま》じいのを知って驚く……春の雨だが、ざんざ降りの、夜ふけの忍駒《しのびごま》だったから、かぶさった雪の、その落ちる、雪のその音か、と吃驚《びっくり》したが、隣の間から、小浜屋の主婦《おかみ》が襖《ふすま》をドシンと打ったのが、古家だから、床の壁まで家鳴《やなり》をするまで響いたのである。
 お妻が、糸の切れたように、黙った。そうしてうつむいた。
「――魔が魅《さ》すといいますから――」
 一番|鶏《どり》であろう……鶏《とり》の声が聞こえて、ぞっとした。――引手茶屋がはじめた鳥屋でないと、深更《よふけ》に聞く、鶏の声の嬉しいものでないことに、読者のお察しは、どうかと思う。
 時に、あの唄は、どんな化ものが出るのだろう。鴾氏も、のちにお京さん――細君に聞いた。と、忘れたと云って教えなかった。
「――まだ小どもだったんですもの――」
 浜町の鳥屋は、すぐ潰《つぶ》れた。小浜屋|一家《いっけ》は、世田ヶ谷の奥へ引込《ひっこ》んで、唄どころか、おとずれもなかったのである。
(この話の中へも、関東ビルジングの廊下へも、もうすぐ、お妻が、水を調えて降りて来よう。)
 まだ少し石の段の続きがある。
 ――お妻とお民と京千代と、いずれも養女で、小浜屋の芸妓《げいしゃ》三人の上に、おおあねえ、すなわち、主婦《おかみ》を、お来《くる》といった――(その夜、隣から襖を叩いた人だが、)これに、伊作という弟がある。うまれからの廓《くるわ》ものといえども、見識があって、役者の下端《したっぱ》だの、幇間《ほうかん》の真似《まね》はしない。書画をたしなみ骨董《こっとう》を捻《ひね》り、俳諧を友として、内の控えの、千束の寮にかくれ住んだ。……小遣万端いずれも本家持の処、小判小粒で仕送るほどの身上でない。……両親がまだ達者で、爺《じい》さん、媼《ばあ》さんがあった、その媼さんが、刎橋《はねばし》を渡り、露地を抜けて、食べものを運ぶ例で、門へは一廻り面倒だと、裏の垣根から、「伊作、伊作」――店の都合で夜のふける事がある……「伊作、伊作」――いやしくも廓の寮の俳家である。卯の花のたえ間
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