大じんに牡丹餅をくわせた姉さんなるものの、生死《いきしに》のあい手を考えて御覧なさい。相撲か、役者か、渡世人か、いきな処で、こはだの鮨《すし》は、もう居ない。捻《ひね》った処で、かりん糖売か、皆違う。こちの人は、京町の交番に新任のお巡査《まわり》さん――もっとも、角海老《かどえび》とかのお職が命まで打込んで、上《あが》り藤の金紋のついた手車で、楽屋入をさせたという、新派の立女形《たておやま》、二枚目を兼ねた藤沢浅次郎に、よく肖《に》ていたのだそうである。
あいびきには無理が出来る。いかんせん世の習《ならい》である。いずれは身のつまりで、遁《に》げて心中の覚悟だった、が、華厳《けごん》の滝へ飛込んだり、並木の杉でぶら下ろうなどというのではない。女形《おやま》、二枚目に似たりといえども、彰義隊《しょうぎたい》の落武者を父にして旗本の血の流れ淙々《そうそう》たる巡査である。御先祖の霊前に近く、覚悟はよいか、嬉しゅうござんす、お妻の胸元を刺貫き――洋刀《サアベル》か――はてな、そこまでは聞いておかない――返す刀で、峨々《がが》たる巌石《いわお》を背《そびら》に、十文字の立ち腹を掻切《かっき》って、大蘇芳年《たいそよしとし》の筆の冴《さえ》を見よ、描く処の錦絵《にしきえ》のごとく、黒髪山の山裾に血を流そうとしたのであった。が、仏法僧のなく音《ね》覚束《おぼつか》なし、誰に助けらるるともなく、生命《いのち》生きて、浮世のうらを、古河銅山の書記《かきやく》になって、二年ばかり、子まで出来たが、気の毒にも、山小屋、飯場のパパは、煩ってなくなった。
お妻は石炭|屑《くず》で黒くなり、枝炭のごとく、煤《すす》けた姑獲鳥《うぶめ》のありさまで、おはぐろ溝《どぶ》の暗夜《やみ》に立ち、刎橋《はねばし》をしょんぼりと、嬰児《あかんぼ》を抱いて小浜屋へ立帰る。……と、場所がよくない、そこらの口の悪いのが、日光がえりを、美術の淵源地《えんげんち》、荘厳の廚子《ずし》から影向《ようごう》した、女菩薩《にょぼさつ》とは心得ず、ただ雷の本場と心得、ごろごろさん、ごろさんと、以来かのおんなを渾名《あだな》した。――嬰児が、二つ三つ、片口をきくようになると、可哀相《かわいそう》に、いつどこで覚えたか、ママを呼んで、ごよごよちゃん、ごよちゃま。
○日月星昼夜織分《じつげつせいちゅうやのおりわけ》――
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