だけれども、今時珍らしい黒繻子《くろじゅす》豆絞りの帯が弛《ゆる》んで、一枚小袖もずるりとした、はだかった胸もとを、きちりと紫の結目《むすびめ》で、西行法師――いや、大宅光国《おおやけみつくに》という背負方《しょいかた》をして、樫《かし》であろう、手馴《てな》れて研ぎのかかった白木の細い……所作、稽古《けいこ》の棒をついている。とりなりの乱れた容子《ようす》が、長刀《なぎなた》に使ったか、太刀か、刀か、舞台で立廻りをして、引込《ひっこ》んで来たもののように見えた。
ところが、目皺《めじわ》を寄せ、頬を刻んで、妙に眩《まぶ》しそうな顔をして、
「おや、師匠とおいでなすったね、おとぼけでないよ。」
とのっけから、
「ちょいと旦那《だんな》、この敷石の道の工合《ぐあい》は、河岸じゃありませんね、五十間。しゃっぽの旦那は、金やろかいじゃあない……何だっけ……銭《ぜに》とるめんでしょう、その口から、お師匠さん、あれ、恥かしい。」
と片袖をわざと顔にあてて俯向《うつむ》いた、襟が白い、が白粉《おしろい》まだらで。……
「……風体を、ごらんなさいよ。ピイと吹けば瞽女《ごぜ》さあね。」
と仰向けに目をぐっと瞑《つむ》り、口をひょっとこにゆがませると、所作の棒を杖《つえ》にして、コトコトと床を鳴らし、めくら反《ぞ》りに胸を反らした。
「按摩《あんま》かみしも三百もん――ひけ過ぎだよ。あいあい。」
あっと呆気《あっけ》に取られていると、
「鉄棒《かなぼう》の音に目をさまし、」
じゃらんとついて、ぱっちりと目を開いた。が、わが信也氏を熟《じっ》と見ると、
「おや、先生じゃありませんか、まあ、先生。」
「…………」
「それ……と、たしか松村さん。」
心当りはまるでない。
「松村です、松村は確かだけれど、あやふやな男ですがね、弱りました、弱ったとも弱りましたよ。いや、何とも。」
上脊があるから、下にしゃがんだ男を、覗《のぞ》くように傾いて、
「どうなさいました、まあ。」
「何の事はありません。」
鉄枴ヶ峰では分るまい……
「身延山の石段で、行倒れになったようなんです。口も利けない始末ですがね、場所はどこです、どこにあります、あと何階あります、場所は、おさらいの会場は。」
「おさらい……おさらいなんかありませんわ。」
「ええ。」
ビルジングの三階から、ほうり出されたようであ
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