の瞼《まぶた》花やかに)誰も知らない命は、生命《いのち》ではありません。この宝玉も、この指環も、人が見ないでは、ちっとも価値《ねうち》がないのです。
公子 それは不可《いか》ん。(卓子《テエブル》を軽く打って立つ)貴女は栄燿《えよう》が見せびらかしたいんだな。そりゃ不可ん。人は自己、自分で満足をせねばならん。人に価値《ねうち》をつけさせて、それに従うべきものじゃない。(近寄る)人は自分で活きれば可《い》い、生命《いのち》を保てば可い。しかも愛するものとともに活きれば、少しも不足はなかろうと思う。宝玉とてもその通り、手箱にこれを蔵すれば、宝玉そのものだけの価値を保つ。人に与うる時、十倍の光を放つ。ただ、人に見せびらかす時、その艶は黒くなり、その質は醜くなる。
美女 ええ、ですから……来るお庭にも敷詰めてありました、あの宝玉一つも、この上お許し下さいますなら、きっと慈善に施して参ります。
公子 ここに、用意の宝蔵がある。皆、貴女のものです。施すは可《い》い。が、人知れずでなければ出来ない、貴女の名を顕《あらわ》し、姿を見せては施すことはならないんです。
美女 それでは何にもなりません。何の効《かい》もありません。
公子 (色やや嶮《けわ》し)随分、勝手を云う。が、貴女の美しさに免じて許す。歌う鳥が囀《さえず》るんだ、雲雀《ひばり》は星を凌《しの》ぐ。星は蹴落《けおと》さない。声が可愛らしいからなんです。(女房に)おい、注《つ》げ。
[#ここから2字下げ]
女房酌す。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
美女 (怯《おく》れたる内端《うちわ》な態度)もうもう、決して、虚飾《みえ》、栄燿《えよう》を見せようとは思いません。あの、ただ活きている事だけを知らせとう存じます。
公子 (冷《ひやや》かに)止《よ》したが可《よ》かろう。
美女 いいえ、唯今《ただいま》も申します通り、故郷《くに》へ帰って、そこに留《とど》まります気は露ほどもないのです。ちょっとお許しを受けまして生命《いのち》のあります事だけを。
[#ここから2字下げ]
公子、無言にして頭《かぶり》掉《ふ》る。美女、縋《すが》るがごとくす。
[#ここから1字下げ]
あの、お許しは下さいませんか。ちっとの外出《そとで》もなりませんか。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
公子 (爽《さわやか》に)獄屋ではない、大自由、大自在な領分だ。歎くもの悲しむものは無論の事、僅少《きんしょう》の憂《うれい》あり、不平あるものさえ一日も一個《ひとり》たりとも国に置かない。が、貴女には既に心を許して、秘蔵の酒を飲ませた。海の果《はて》、陸の終《おわり》、思って行《ゆ》かれない処はない。故郷《ふるさと》ごときはただ一飛《ひととび》、瞬《まばた》きをする間《ま》に行《ゆ》かれる。(愍《あわれ》むごとくしみじみと顔を視《み》る)が、気の毒です。
貴女にその驕《おごり》と、虚飾《みえ》の心さえなかったら、一生聞かなくとも済む、また聞かせたくない事だった。貴女、これ。
(美女顔を上ぐ。その肩に手を掛く)ここに来た、貴女はもう人間ではない。
美女 ええ。(驚く。)
公子 蛇身になった、美しい蛇《へび》になったんだ。
[#ここから2字下げ]
美女、瞳を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》る。
[#ここから1字下げ]
その貴女の身に輝く、宝玉も、指環も、紅《べに》、紫の鱗《うろこ》の光と、人間の目に輝くのみです。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
美女 あれ。(椅子を落つ。侍女の膝にて、袖を見、背を見、手を見つつ、わななき震う。雪の指尖《ゆびさき》、思わず鬢《びん》を取って衝《つ》と立ちつつ)いいえ、いいえ、いいえ。どこも蛇にはなりません。一《い》、一枚も鱗はない。
公子 一枚も鱗はない、無論どこも蛇《へび》にはならない。貴女は美しい女です。けれども、人間の眼《まなこ》だ。人の見る目だ。故郷に姿を顕《あらわ》す時、貴女の父、貴女の友、貴女の村、浦、貴女の全国の、貴女を見る目は、誰も残らず大蛇と見る。ものを云う声はただ、炎の舌が閃《ひらめ》く。吐《つ》く息は煙を渦巻く。悲歎の涙は、硫黄《ゆおう》を流して草を爛《ただ》らす。長い袖は、腥《なまぐさ》い風を起して樹を枯らす。悶《もだ》ゆる膚《はだ》は鱗を鳴《なら》してのたうち蜿《うね》る。ふと、肉身のものの目に、その丈より長い黒髪の、三筋、五筋、筋を透《すか》して、大蛇の背に黒く引くのを見る、それがなごりと思うが可《い》い。
美女 (髪みだるるまでかぶりを掉《ふ》る)嘘です、嘘です。人を呪《のろ》って、人を詛《のろ》って、貴方こそ、その毒蛇です
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング