女。毛巻島田《けまきしまだ》に結う。白の振袖、綾《あや》の帯、紅《くれない》の長襦袢《ながじゅばん》、胸に水晶の数珠《じゅず》をかけ、襟に両袖を占めて、波の上に、雪のごとき竜馬《りゅうめ》に乗せらる。およそ手綱の丈を隔てて、一人|下髪《さげがみ》の女房。旅扮装《たびいでたち》。素足、小袿《こうちぎ》に褄《つま》端折りて、片手に市女笠《いちめがさ》を携え、片手に蓮華燈籠を提ぐ。第一点の燈《ともしび》の影はこれなり。黒潮騎士《こくちょうきし》、美女の白竜馬をひしひしと囲んで両側二列を造る。およそ十人。皆|崑崙奴《くろんぼ》の形相。手に手に、すくすくと槍《やり》を立つ。穂先白く晃々《きらきら》として、氷柱《つらら》倒《さかしま》に黒髪を縫う。あるものは燈籠を槍に結ぶ、灯《ともしび》の高きはこれなり。あるものは手にし、あるものは腰にす。
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女房 貴女《あなた》、お草臥《くたびれ》でございましょう。一息、お休息《やすみ》なさいますか。
美女 (夢見るようにその瞳を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》く)ああ、(歎息す)もし、誰方《どなた》ですか。……私の身体《からだ》は足を空に、(馬の背に裳《もすそ》を掻緊《かいし》む)倒《さかさま》に落ちて落ちて、波に沈んでいるのでしょうか。
女房 いいえ、お美しいお髪《ぐし》一筋、風にも波にもお縺《もつ》れはなさいません。何でお身体《からだ》が倒などと、そんな事がございましょう。
美女 いつか、いつですか、昨夜《ゆうべ》か、今夜か、前《さき》の世ですか。私が一人、楫《かじ》も櫓《ろ》もない、舟に、筵《むしろ》に乗せられて、波に流されました時、父親の約束で、海の中へ捕られて行《ゆ》く、私へ供養のためだと云って、船の左右へ、前後《あとさき》に、波のまにまに散って浮く……蓮華燈籠が流れました。
女房 水に目のお馴《な》れなさいません、貴女には道しるべ、また土産にもと存じまして、これが、(手に翳《かざ》す)その燈籠でございます。
美女 まあ、灯《あかり》も消えずに……
女房 燃えた火の消えますのは、油の尽きる、風の吹く、陸《おか》ばかりの事でございます。一度、この国へ受取りますと、ここには風が吹きません。ただ花の香の、ほんのりと通うばかりでございます。紙の細工も珠《たま》に替って、葉の青いのは、翡翠《ひすい》の琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]《ろうかん》、花片《はなびら》の紅白は、真玉《まだま》、白珠《しらたま》、紅宝玉。燃ゆる灯《ひ》も、またたきながら消えない星でございます。御覧遊ばせ、貴女。お召ものが濡れましたか。お髪《ぐし》も乱れはしますまい。何で、お身体《からだ》が倒《さかさま》でございましょう。
美女 最後に一目《ひとめ》、故郷《ふるさと》の浦の近い峰に、月を見たと思いました。それぎり、底へ引くように船が沈んで、私は波に落ちたのです。ただ幻に、その燈籠の様な蒼《あお》い影を見て、胸を離れて遠くへ行《ゆ》く、自分の身の魂か、導く鬼火かと思いましたが、ふと見ますと、前途《ゆくて》にも、あれあれ、遥《はるか》の下と思う処に、月が一輪、おなじ光で見えますもの。
女房 ああ、(望む)あの光は。いえ。月影ではございません。
美女 でも、貴方《あなた》、雲が見えます、雪のような、空が見えます、瑠璃色《るりいろ》の。そして、真白《まっしろ》な絹糸のような光が射《さ》します。
女房 その雲は波、空は水。一輪の月と見えますのは、これから貴女がお出《いで》遊ばす、海の御殿でございます。あれへ、お迎え申すのです。
美女 そして。参って、私の身体《からだ》は、どうなるのでございましょうねえ。
女房 ほほほ、(笑う)何事も申しますまい。ただお嬉しい事なのです。おめでとう存じます。
美女 あの、捨小舟《すておぶね》に流されて、海の贄《にえ》に取られて行《ゆ》く、あの、(※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》す)これが、嬉しい事なのでしょうか。めでたい事なのでしょうかねえ。
女房 (再び笑う)お国ではいかがでございましょうか。私たちが故郷《ふるさと》では、もうこの上ない嬉しい、めでたい事なのでございますもの。
美女 あすこまで、道程《みちのり》は?
女房 お国でたとえは煩《むず》かしい。……おお、五十三次と承ります、東海道を十度《とたび》ずつ、三百度、往還《ゆきかえ》りを繰返して、三千度いたしますほどでございましょう。
美女 ええ、そんなに。
女房 めした竜馬は風よりも早し、お道筋は黄金《こがね》の欄干、白銀の波のお廊下、ただ花の香りの中を、やがてお着きなさいます。
美女 潮風、磯《いそ》の香、海松《みる》、海藻《か
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