るようである。
 真赤《まっか》な蛇が居ようも知れぬ。
 が、渠《かれ》の身に取っては、食に尽きて倒るるより、自然《ひとりで》に死ぬなら、蛇に巻かれたのが本望であったかも知れぬ。
 袂《たもと》に近い菜の花に、白い蝶が来て誘う。
 ああ、いや、白い蛇であろう。
 その桃に向って、行《ゆ》きざまに、ふと見ると、墓地《はかち》の上に、妙見宮の棟の見ゆる山へ続く森の裏は、山際から崕上《がけうえ》を彩って――はじめて知った――一面の桜である。……人は知るまい……一面の桜である。
 行《ゆ》くに従うて、路は、奥拡がりにぐるりと山の根を伝う。その袂にも桜が充《み》ちた。
 しばらく、青麦の畠になって、紫雲英で輪取る。畔づたいに廻りながら、やがて端へ出て、横向に桃を見ると、その樹のあたりから路が坂に低くなる、両方は、飛々|差覗《さしのぞ》く、小屋、藁屋を、屋根から埋《うず》むばかり底広がりに奥を蔽《おお》うて、見尽されない桜であった。
 余りの思いがけなさに、渠は寂然《じゃくねん》たる春昼をただ一人、花に吸われて消えそうに立った。
 その日は、何事もなかった――もとの墓地を抜けて帰った――ものに憑《
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