あねえ。少《わか》い時を思い出して、何となく、我身ながら引入れられて、……覚えて、ついぞねえ、一生に一度だ。較《くら》べものにゃあなりませんが、むかし琵琶法師《びわほうし》の名誉なのが、こんな処で草枕、山の神様に一曲奏でた心持。
 と姉さんがとけて流れて合うのじゃわいなと、きき入りながら、睫毛《まつげ》を長くうつむいて、ほろりとした時、こっらも思わず、つい、ほろり……いえさ、この面《つら》だからポタリと出ました。」
 と口では言いつつ声が湿った。
「(つかん事を聞きますけれど、鋳掛屋さん、錠の合鍵《あいかぎ》を頼まれて下さいますか。)……と姉さんがね。
 私《わっし》あこれを聞いて、ポンと両手を拍《う》った。
 このくらいつく事は、私の唄が三味線につくようなもんじゃあねえ。
(鍵が狂ったんでございますかい。)
(いいえ、無いんですけれど。)
(雑作はがあせん、煙草三服飲む間《うち》だ。)
 そこで錠前を見て、という事になると、ちと内証事らしい。……しとやかな姉さんが、急に何だか、そわついて、あっちこっち※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》しましたが、高い処にこう立つと、風が攫《さら》って、すっと、雲の上へ持って行《ゆ》きそうで危《あぶな》ッかしいように見えます。
 勿論人影は、ぽッつりともない。
 が、それでも、天幕《テント》の正面からじゃあ、気咎《きとが》めがしたと見えて、
(済みませんが、こっちから。)
 裏へ廻わると、綻《ほころ》びた処があるので。……姉さんは科《しな》よく消えたが、こっちは自雷也《じらいや》の妖術にアリャアリャだね。列子《せこ》という身で這込《はいこ》みました。が、それどころじゃあねえ。この錠前だと言うのを一見に及ぶと、片隅に立掛けた奴だが、大蝦蟆《おおがま》の干物とも、河馬《かば》の木乃伊《みいら》とも譬《たと》えようのねえ、皺《しな》びて突張《つっぱ》って、兀斑《はげまだら》の、大古物の大《でっ》かい革鞄《かばん》で。
 こいつを、古新聞で包んで、薄汚れた兵児帯《へこおび》でぐるぐると巻いてあるんだが、結びめは、はずれて緩んで、新聞もばさりと裂けた。そこからそれ、煤《すす》を噴きそうな面《つら》を出して、蘆《あし》の茎《ずい》から谷|覗《のぞ》くと、鍵の穴を真黒《まっくろ》に窪ましているじゃアありませんか。
(何が入ってお
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